旅行,登山,探検,軍事行動などに携行する食料。短時間の外出などに携行する弁当は含まないのがふつうである。材料の入手や調理が困難で,しかも,その状況が長期にわたる場合も多いので,携行に便なように重量,容積が小さく,貯蔵保存性が大きく,できるだけ調理の必要が少なく,かつ,カロリー,栄養分の豊富なことが要求される。貯蔵保存性の点で,古くから備蓄用の食料とされたものも多く,調理の省略化を目ざす面では,いわゆる非常食や宇宙食とも密接な関連をもつ。
日本では古くから焼米や乾飯(ほしいい)(糒(ほしい))が用いられた。焼米はもみをいって殻を除いたもので,水や湯をかけ,あるいはそのまま食べた。乾飯は〈かれいい〉ともいい,米を蒸してから乾燥したもので,焼米同様水や湯をかけて食べることが多かった。古代日本の民衆が長途の旅行をするといえば,漂泊者は別として,防人(さきもり)などとしての軍旅や調庸の輸送といった場合にほぼ限られていたが,そうした公用の旅にも食料はみずから携行せねばならぬことが多く,旅中食料が尽きて餓死するものも少なくなかった。そうした民衆はもとより,地方官としての赴任その他の貴族の旅行の場合にも,干飯がもっとも多く用いられたことは,《伊勢物語》の東下りの段などによってもうかがうことができる。
携帯食糧の発達は軍事上の必要によってうながされることが大きいが,日本では幕末・明治になってヨーロッパの技術を習得し,乾パン,ビスケットが軍用に供されるようになるまで大きな変化はみられなかった。軍事行動中の予備食としての乾パンを最初に研究試作したのは伊豆韮山(にらやま)代官の江川太郎左衛門で,1842年(天保13)のことだという。当時乾パンは兵糧パンと呼ばれ,その後諸藩もこれにならって兵糧パンをつくった。1877年の西南戦争のさい,官軍は乾パン,鰹節のほかに,予備食としてビスケットを用い,日清戦争からは肉の缶詰が加わり,携帯口糧と呼ばれるようになった。その携帯口糧から古来の干飯が除かれたのは日露戦争時のことであった。その後,旧日本軍では膨張圧搾した米や,副食品,嗜好品,調味料などの乾燥品を開発したが,結局は米食中心の観念を脱却できず,栄養面その他に多くの課題を残した。第2次大戦後は軍事面での必要性は減少したが,食品加工技術のめざましい発展にともなって各種のインスタント食品などが開発され,携帯食糧の種類は多様化し,品質面でもいちじるしい向上を示すようになった。
執筆者:田村 藤四郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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[用途による分類]
日常食,携帯食,非常食,備荒食に分けられる。携帯食(携帯食糧)は,水分を除いて軽量化したものと,調理を要せずすぐ食べられるものに分けられる。非常食は長期保存が可能なように加工した食品で,凍結乾燥し,窒素ガスを充てんした缶詰は,30年以上も保存可能である。…
※「携帯食糧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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