ハリントン(読み)はりんとん(英語表記)James Harrington

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハリントン」の意味・わかりやすい解説

ハリントン
はりんとん
James Harrington
(1611―1677)

イギリスの政治思想家。ノーサンプトン貴族家系に生まれる。オックスフォード大学で教育を受けたのち、大陸を周遊、帰国後は研究に没頭した。心情的には共和政に共感していたものの、チャールズ1世の個人的友人であったため、ピューリタン革命では積極的な役割を果たさず国王に随行していた。国王処刑(1649)後の1656年、彼は『オセアナ共和国』Commonwealth of Oceanaを執筆し、憲法制定議会をもち、秘密投票制、役職交替制など特異な制度をもつ国家を構想した。この著作は当時こそまったく注目されなかったが、政治制度は経済構造によって決定されるという見解にたっており、のちに革命に関するもっとも鋭い同時代の分析として注目されるに至る。ハリントンクロムウェル死後も、自らつくった小さな政治サークル「ロータ・クラブ」Rota Clubを通じて共和制の夢を追い続けたが、王政復古によって捕らえられ、狂気に陥り、1677年、そのまま没した。(書籍版 1988年)
小泉 徹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハリントン」の意味・わかりやすい解説

ハリントン
Harrington (Harington), James

[生]1611.1.7. ノーサンプトンシャー,アップトン
[没]1677.9.11. ウェストミンスター
イギリスの政治思想家。オックスフォード大学に学んだのち,ヨーロッパ大陸に渡り,ベネチアの共和制にひかれた。清教徒革命においては,共和制を支持しつつも積極的な役割は果さず,国王チャールズ1世の友人として行動した。国王処刑後,土地均分と権力分立を基礎とする理想の共和国論『オセアナ』 Oceana (1656) を執筆。 1659年王政復古が迫ると,ロータ・クラブを組織して,自己の思想の宣伝に努めたため,61年捕えられ,幽閉の痛手から心身ともに衰弱して釈放された。

ハリントン(伯家)
ハリントン[はくけ]
Harrington, Earls of

イギリスの貴族の家柄。マドリード駐在大使や R.ウォルポール内閣の外務大臣をつとめたウィリアム・スタナップ (1690頃~1756) が,1742年初代伯となり,以後爵位はスタナップ家が保有。2代伯ウィリアム (19~79) はオーストリア継承戦争に従軍してフォントノアの戦い (45) に武功をあげ,3代伯チャールズ (53~1829) はアメリカ独立戦争に従軍したのち,アイルランド軍司令官,ウィーン駐在大使,ベルリン駐在大使をつとめた。5代伯レスター・フィッツジェラルド・チャールズ (1784~1862) はインドでマラータ戦争に従い (18) ,次いでギリシアにおもむいて詩人バイロンと知合い,ギリシア独立戦争に協力した。

ハリントン
Harington, Sir John

[生]1561. ケルストン
[没]1612.11.20. ケルストン
イギリスの宮廷人,著作家。エリザベス1世が名づけ親となった。ケンブリッジ大学に学ぶ。『エイジャクスの変身』 The Metamorphosis of Ajax (1596) を含む一連の時代風刺的作品によって,女王の勘気をこうむった。

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