ハリントン(その他表記)James Harrington

改訂新版 世界大百科事典 「ハリントン」の意味・わかりやすい解説

ハリントン
James Harrington
生没年:1611-77

イギリスの政治思想家。《オシアナ共和国》(1656)の著者。オックスフォード大学卒業後,大陸へ留学し,ベネチアで〈共和主義と恋におちた〉といわれる。ピューリタン革命中は中立的な態度をとっていたが,国王が死刑となって共和制が樹立されると活発な著作活動を始め,ロータ・クラブというサークルをつくって共和主義思想の宣伝に努めた。王政復古(1660)後逮捕され失意のうちに死去。《オシアナ共和国》は一種のユートピア物語であるが,その思想的特徴は次の3点にある。第1は,国家形態は土台である土地所有の様式によって規定されるという〈唯物論〉であって,国王に土地所有が集中しているときは君主制,少数者に集中しているときは貴族制,土地所有が分散しているときは民主制であり,したがって共和制を維持するためには,土地所有の集中を防止する農地法が必要である。第2は,このことと関連して,国家形態の変化は歴史の必然であり,恣意的にとどめられるものではないという法則性の主張であって,この点から彼は,たとえ王政が復活してもイギリスは事実上共和制を維持するだろうと予言した。第3は,権力分立と相互抑制の主張であって,上院が提案し下院が決定し行政府が執行するという方式が詳細に展開されている。イデオロギーを排除した経験論的な政治論としてアメリカ独立革命の指導者たちにも大きな影響を及ぼした。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハリントン」の意味・わかりやすい解説

ハリントン
はりんとん
James Harrington
(1611―1677)

イギリスの政治思想家。ノーサンプトンの貴族の家系に生まれる。オックスフォード大学で教育を受けたのち、大陸を周遊、帰国後は研究に没頭した。心情的には共和政に共感していたものの、チャールズ1世の個人的友人であったため、ピューリタン革命では積極的な役割を果たさず国王に随行していた。国王処刑(1649)後の1656年、彼は『オセアナ共和国』Commonwealth of Oceanaを執筆し、憲法制定議会をもち、秘密投票制、役職の交替制など特異な制度をもつ国家を構想した。この著作は当時こそまったく注目されなかったが、政治制度は経済構造によって決定されるという見解にたっており、のちに革命に関するもっとも鋭い同時代の分析として注目されるに至る。ハリントンはクロムウェルの死後も、自らつくった小さな政治サークル「ロータ・クラブ」Rota Clubを通じて共和制の夢を追い続けたが、王政復古によって捕らえられ、狂気に陥り、1677年、そのまま没した。(書籍版 1988年)
[小泉 徹]

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百科事典マイペディア 「ハリントン」の意味・わかりやすい解説

ハリントン

17世紀英国の政治思想家。主著は《オセアナ共和国》。チャールズ1世に仕えた。政治のあり方は,経済によって規定されることを明確に認識し,その認識の上に立って,絶対主義政治を否定し,抽選と交替制による国民から選挙された二院制からなる立法部にこそ主権があると主張した。彼の考えは,後の名誉革命に大きな影響を与えた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハリントン」の意味・わかりやすい解説

ハリントン
Harrington (Harington), James

[生]1611.1.7. ノーサンプトンシャー,アップトン
[没]1677.9.11. ウェストミンスター
イギリスの政治思想家。オックスフォード大学に学んだのち,ヨーロッパ大陸に渡り,ベネチアの共和制にひかれた。清教徒革命においては,共和制を支持しつつも積極的な役割は果さず,国王チャールズ1世の友人として行動した。国王処刑後,土地均分と権力分立を基礎とする理想の共和国論『オセアナ』 Oceana (1656) を執筆。 1659年王政復古が迫ると,ロータ・クラブを組織して,自己の思想の宣伝に努めたため,61年捕えられ,幽閉の痛手から心身ともに衰弱して釈放された。

ハリントン(伯家)
ハリントン[はくけ]
Harrington, Earls of

イギリスの貴族の家柄。マドリード駐在大使や R.ウォルポール内閣の外務大臣をつとめたウィリアム・スタナップ (1690頃~1756) が,1742年初代伯となり,以後爵位はスタナップ家が保有。2代伯ウィリアム (19~79) はオーストリア継承戦争に従軍してフォントノアの戦い (45) に武功をあげ,3代伯チャールズ (53~1829) はアメリカ独立戦争に従軍したのち,アイルランド軍司令官,ウィーン駐在大使,ベルリン駐在大使をつとめた。5代伯レスター・フィッツジェラルド・チャールズ (1784~1862) はインドでマラータ戦争に従い (18) ,次いでギリシアにおもむいて詩人バイロンと知合い,ギリシア独立戦争に協力した。

ハリントン
Harington, Sir John

[生]1561. ケルストン
[没]1612.11.20. ケルストン
イギリスの宮廷人,著作家。エリザベス1世が名づけ親となった。ケンブリッジ大学に学ぶ。『エイジャクスの変身』 The Metamorphosis of Ajax (1596) を含む一連の時代風刺的作品によって,女王の勘気をこうむった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハリントン」の解説

ハリントン
James Harrington

1611〜77
ピューリタン革命時代のイギリスの政治思想家
大陸を旅行し,オランダ・ヴェネツィアの共和政治に共鳴したが,チャールズ1世の処刑に反対して政治から退いた。主著『オシアナ共和国』(1656)では,土地・財産の均等分配の上に権力が分立する理想国家論を展開し,当時のイギリスではあまり受け入れられなかったが,アメリカ諸州の憲法やフランス革命に思想的にも影響を与えた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハリントン」の解説

ハリントン
James Harrington

1611~77

イングランドの政治思想家。オクスフォード大学中退後,ヨーロッパ大陸を旅行中に共和政に興味をいだき,その理論的体系化を企て『オシアナ共和国』(1656年)を発表。その思想はのちアメリカの政治制度に大きな影響を与えた。

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