日本大百科全書(ニッポニカ) 「政治的腐敗」の意味・わかりやすい解説
政治的腐敗
せいじてきふはい
political corruption
違法または不当な手段により公権力を濫用し、特定個人(自己を含む)ないし特定集団の利益を図ったり、図ろうとするところに政治的腐敗は醸成される。典型的な事例としては、利権をめぐる金品の贈収賄または饗応(きょうおう)、特定ポストや栄誉に関連してのスキャンダル、特定法案の成立または阻止を図っての政治的裏面工作、選挙の際の腐敗手段、資金集めのおりの裏取引などがあげられる。
政治的腐敗の歴史は古く、宮廷政治や領主政治の下でも、特定ポストや有力者の寵愛(ちょうあい)を求めて工作が行われたり、商取引の独占を図って贈収賄がなされた。近代市民革命は、こうした旧支配層の腐敗・汚濁の糾弾を一つの課題とした。しかし、市民革命によって近代国家が成立しても腐敗は絶えず、政・財・官各界の新たな癒着、国家権力の肥大化、選挙戦の熾烈(しれつ)化などは、政治的腐敗の温床を用意した。
イギリスでは、1721年に首相となり(2回目)、その後約20年間首相の任にあったウォルポールは、一方ではイギリスの政党政治の確立に貢献したが、他方では多数派工作のために金銭をばらまき、ポストを供与し、選挙干渉をなして、腐敗を蔓延(まんえん)させた。またイギリスの選挙は、1883年に腐敗・違法行為防止法が制定されるまで汚濁に満ち満ちていた。またアメリカでは、19世紀におけるニューヨークのタマニー・ホールに代表されるようなボス支配に伴う腐敗が、かつては随所にみられた。時代は下り、最近では1972年のアメリカ大統領選挙のおりのウォーターゲート事件のような特異な事件も起こっている。
日本にあっては、明治期の教科書疑獄、日糖事件、大正期のシーメンス事件、松島遊廓(ゆうかく)移転事件、昭和戦前期の売勲事件などが歴史に汚点を記し、戦後にあっては、復金融資をめぐる昭和電工事件(昭電事件)、造船会社への利子補給などの助成策に関連しての造船疑獄、航空機売り込み工作をめぐるロッキード事件、就職情報会社の事業拡大にからむリクルート事件などが起こっている。戦後の事件のほとんどは、重要ポストにある人物がその地位を利用して特定企業に利益を与えようとし、その見返りとして多額のリベートや政治資金が流れたという疑惑をめぐって起こっている。
こうした腐敗を防止するためにさまざまな法律が制定されているが、その面でもっとも徹底しているのはアメリカで、19世紀後半から、種々の利益抵触法が制定され、そして1978年には政府倫理法が成立している。そこでは政治家や高級公務員の収支と資産の公開が重要な柱となっている。そのほか二、三の事例をあげると、イギリスの下院議員の利害関係登録制度、ドイツの連邦議会議員のための倫理綱領、イタリアの被選任者および一部公的団体・企業の幹部職員の資産公開に関する規定などがある。日本では刑法のほか、公職選挙法の選挙違反に関する罰則規定および政治資金規正法などがあり、また資産公開法により閣僚および国会議員の資産公開がなされている。さらに近年では、選挙違反に対する連座制も強化されている。
こうした法的規制はあるものの、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」ということばがあるように、政治はとかく腐敗しがちである。これに対しては、権力の濫用を防止する制度的措置と同時に、国民の監視が有効に機能することがたいせつで、そのためには国民の知る権利が保障されることが不可欠である。サンシャイン法や情報公開はそれに資するものであろう。
[富田信男]