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保守合同 ほしゅごうどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

保守合同
ほしゅごうどう

1955年 11月 15日,日本民主党自由党が合同し,単一保守政党自由民主党を結成したこと。第2次世界大戦後の保守政党は,戦前の立憲政友会立憲民政党の流れをくむ自由,進歩両党と中道指向の国民協同党の3系列で出発し,さまざまな合従連衡のあげく大合同に漕ぎつけた。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

保守合同

1954年11月、自由党の岸派や鳩山派と改進党などによって、鳩山一郎を総裁とした「日本民主党」が結党され、岸は幹事長に就任。その後、日本民主党側の岸、三木武吉、自由党側の石井光次郎大野伴睦による六十数回の4者会談を経て、55年11月に自民党を結党。

(2015-05-26 朝日新聞 朝刊 4総合)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

ほしゅ‐ごうどう〔‐ガフドウ〕【保守合同】

昭和30年(1955)11月、自由党日本民主党が合同して自由民主党という単一保守政党を結成したことをいう。左右社会党の統一がきっかけとなって実現し、以後の自民党による長期政権を生んだ。

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世界大百科事典 第2版の解説

ほしゅごうどう【保守合同】

1955年11月15日,民主党と自由党の合同による自由民主党の結成をいう。1952年4月のサンフランシスコ講和発効後,政界に復帰した追放解除者と戦後派保守政治家との対立がしだいに表面化した。占領軍による覚書追放者鳩山一郎と,彼の後継者の自由党総裁吉田茂の確執はその象徴である。鳩山のほか三木武吉,河野一郎石橋湛山らは53年3月分党派自由党を結成したが,4月総選挙では吉田派199名に対し35名と振るわず,11月鳩山ら多数は自由党に復党,三木,河野ら8名は日本自由党に改組して吉田と対立した。

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大辞林 第三版の解説

ほしゅごうどう【保守合同】

1955年(昭和30)11月、自由党と日本民主党が合同して、自由民主党を結成したことをさす。前月の社会党の統一に促されたものだが、保守政党の分裂抗争を終わらせ、自民党の長期政権化を実現した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

保守合同
ほしゅごうどう

1955年(昭和30)自由党と民主党の合同によって日本最初の単一保守政党としての自由民主党が結成され、戦後史の重要な画期をつくった政治的できごと。追放解除後、民主党鳩山(はとやま)派と自由党吉田派の対立が顕在化し、55年2月の総選挙では自由党にかわって民主党が第一党となり、左派社会党・右派社会党も議席を伸ばした。4月民主党総務会長三木武吉(ぶきち)の鳩山一郎内閣総辞職を条件とした合同の談話を契機に、自由党総務会長で反吉田派の大野伴睦(ばんぼく)と三木との会合がもたれ、佐藤栄作・池田勇人(はやと)ら自由党吉田派と大麻唯男、三木武夫(たけお)ら民主党の旧改進党系の合同反対論を説き伏せて合同に一歩を踏み出したが、新党の総裁人事をめぐって一悶着(もんちゃく)し、結局、当分の間、代行委員制を採用することで11月15日、民主・自由両党は合同して自由民主党を結成した。
 保守合同が実現した大きな要因は、社会党が同年10月に統一し同党の政権獲得の可能性も出てきたこと、この状況に対して財界が保守党への政治献金のルートを一本化し、かつ保守結集によって政局を収拾し、安定政権を樹立するよう圧力をかけたことにあった。とくに財界が保守安定政権を強く要望したのは、日本経済復興の支柱となってきた朝鮮特需の打ち切りに対し自立政策へと転換する必要に迫られたからであった。
 自由民主党は国会で絶対多数を確保し、長期独裁政権の時代に入っていくが、保守合同は反面、政・官・財癒着の深化と派閥政治の隆盛をもたらし、また保革対決の政治構造を形成した。[荒 敬]
『内田健三著『戦後日本の保守政治』(岩波新書) ▽白鳥令編『保守体制 上』(1977・東洋経済新報社) ▽後藤基夫他著『戦後保守政治の軌跡』(1982・岩波書店)』

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世界大百科事典内の保守合同の言及

【昭和時代】より

…しかし55年2月の総選挙でも民主党は過半数にはるかに達せず政権は不安定であった。政局の安定を望む財界は,保守合同を強く希望し,経済団体連合会(経団連),日本経営者団体連盟(日経連),経済同友会,日本商工会議所の財界4団体は,たびたび共同声明を発表して保守合同を働きかけ,55年11月ついに民主党と自由党が合同して,単一保守党としての自由民主党が成立した。一方51年10月,講和,安保両条約にたいする賛否をめぐって左右に分裂していた社会党は,独立後の憲法擁護,再軍備反対の運動のなかでしだいに勢力を伸ばしたため,政権獲得を期待して統一への要望が強くなり,55年10月両派が統一して日本社会党として再発足した。…

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