1955年(昭和30)自由党と民主党の合同によって日本最初の単一保守政党としての自由民主党が結成され、戦後史の重要な画期をつくった政治的できごと。追放解除後、民主党鳩山(はとやま)派と自由党吉田派の対立が顕在化し、55年2月の総選挙では自由党にかわって民主党が第一党となり、左派社会党・右派社会党も議席を伸ばした。4月民主党総務会長三木武吉(ぶきち)の鳩山一郎内閣総辞職を条件とした合同の談話を契機に、自由党総務会長で反吉田派の大野伴睦(ばんぼく)と三木との会合がもたれ、佐藤栄作・池田勇人(はやと)ら自由党吉田派と大麻唯男、三木武夫(たけお)ら民主党の旧改進党系の合同反対論を説き伏せて合同に一歩を踏み出したが、新党の総裁人事をめぐって一悶着(もんちゃく)し、結局、当分の間、代行委員制を採用することで11月15日、民主・自由両党は合同して自由民主党を結成した。
保守合同が実現した大きな要因は、社会党が同年10月に統一し同党の政権獲得の可能性も出てきたこと、この状況に対して財界が保守党への政治献金のルートを一本化し、かつ保守結集によって政局を収拾し、安定政権を樹立するよう圧力をかけたことにあった。とくに財界が保守安定政権を強く要望したのは、日本経済復興の支柱となってきた朝鮮特需の打ち切りに対し自立政策へと転換する必要に迫られたからであった。
自由民主党は国会で絶対多数を確保し、長期独裁政権の時代に入っていくが、保守合同は反面、政・官・財癒着の深化と派閥政治の隆盛をもたらし、また保革対決の政治構造を形成した。
[荒 敬]
『内田健三著『戦後日本の保守政治』(岩波新書)』▽『白鳥令編『保守体制 上』(1977・東洋経済新報社)』▽『後藤基夫他著『戦後保守政治の軌跡』(1982・岩波書店)』
1955年11月15日,民主党と自由党の合同による自由民主党の結成をいう。1952年4月のサンフランシスコ講和発効後,政界に復帰した追放解除者と戦後派保守政治家との対立がしだいに表面化した。占領軍による覚書追放者鳩山一郎と,彼の後継者の自由党総裁吉田茂の確執はその象徴である。鳩山のほか三木武吉,河野一郎,石橋湛山らは53年3月分党派自由党を結成したが,4月総選挙では吉田派199名に対し35名と振るわず,11月鳩山ら多数は自由党に復党,三木,河野ら8名は日本自由党に改組して吉田と対立した。この間,政局安定を要望した財界は造船疑獄事件後の国会紛糾に対し,議会政治の安定,保守政権の安定を重ねて要望した。こうしたなかで鳩山らは吉田政権の対米従属路線批判,憲法改正論等を展開,吉田退陣による保守合同を目ざした。この結果,54年11月自由党鳩山派,改進党,日本自由党が合同して日本民主党を結成(総裁鳩山,副総裁重光葵),12月7日吉田内閣が総辞職し総裁も緒方竹虎が継承,10日鳩山内閣が成立した。翌年2月の総選挙は民主185,自由112,左社89,右社67,その他14で護憲勢力が3分の1を超え,依然として政局不安定であった。このとき三木武吉が保守合同論を提唱,5月に民主,自由両党の幹事長,総務会長会談が開かれ,6月の総裁会談での予算案共同修正,保守勢力結集が確認され,10月の両派社会党統一後の11月,自由民主党が結成された。衆議院298,参議院115の初の保守単一政党の実現である。総裁代行委員制を採用,鳩山(民),緒方(自),三木(民),大野伴睦(自)の4名が就任したが,翌年1月緒方が急死し,4月鳩山が初代総裁に選出された。これ以後自民党政権が続いている。なお保守合同による自民党の誕生は,社会党の統一とともに保守・革新二大政党の成立として55年体制と呼ばれる。
執筆者:神田 文人
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1955年(昭和30)10月の社会党統一に続いて,翌11月15日に自由党と日本民主党が合同し,保守単一政党の自由民主党を結成したこと。52年の講和発効後,鳩山一郎・岸信介・重光葵(まもる)・石橋湛山(たんざん)らの追放解除組が,占領期に基盤を固め終わった自由党の吉田茂長期政権に挑戦し始め,54年11月反吉田勢力が日本民主党を結成,鳩山内閣が誕生した。一方,社会党も安全保障条約問題をめぐって分裂・抗争したが,左右社会党が統一へむかい,それに対応して保守勢力の2系統(吉田系と反吉田系)の合同が図られたのである。保守合同後の政界は保守・革新に二分され,時代は55年体制に入っていく。
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…しかし55年2月の総選挙でも民主党は過半数にはるかに達せず政権は不安定であった。政局の安定を望む財界は,保守合同を強く希望し,経済団体連合会(経団連),日本経営者団体連盟(日経連),経済同友会,日本商工会議所の財界4団体は,たびたび共同声明を発表して保守合同を働きかけ,55年11月ついに民主党と自由党が合同して,単一保守党としての自由民主党が成立した。一方51年10月,講和,安保両条約にたいする賛否をめぐって左右に分裂していた社会党は,独立後の憲法擁護,再軍備反対の運動のなかでしだいに勢力を伸ばしたため,政権獲得を期待して統一への要望が強くなり,55年10月両派が統一して日本社会党として再発足した。…
※「保守合同」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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