日本大百科全書(ニッポニカ) 「タマニー・ホール」の意味・わかりやすい解説
タマニー・ホール
たまにーほーる
Tammany Hall
ニューヨーク市政を支配したボス機構の俗称。伝説上のインディアンの名をとった友愛団体、タマニー協会として建国期に生まれた。のちにリパブリカン党のアーロン・バー派と結び付いて政治集団化し、連邦党員は脱会した。その後この派閥は1812年にタマニー・ホールを建ててその本拠とし、ジャクソン時代には民主党形成の担い手となり、以後約100年間ニューヨーク市政を牛耳(ぎゅうじ)った。1850年代以降、とくに南北戦争直後の「ボス・ツイード」の時代の腐敗政治は悪名高いが、下層移民集団の利害を代弁する側面もあった。70年代以降はアイルランド人ボスが支配し、20世紀には社会福祉政策を推進するようになり、そのなかからアル・スミスやロバート・ワグナーを連邦政治に送り込んだ。しかしニューディール期にイタリア系共和党員ラガーディアに市長職を奪われて以後急激に衰退し、1960年代にはユニオン・スクエアにあった本拠のタマニー・ホールの建物までが売りに出された。
[安武秀岳]