改訂新版 世界大百科事典 「政治講談」の意味・わかりやすい解説
政治講談 (せいじこうだん)
自由民権運動の主要な宣伝活動の形態である演説会が,一定期間演説禁止処分をこうむる弁士の続出により困難になったため,口の動きを封じられた民権活動家が,演説に代り,それと同じ機能を果たすものとして案出したのが政治講談である。その誕生には東京浅草寺境内で新聞の重要記事を読んだ〈新聞講談〉の創始をはじめ新機軸を次々に打ち出した松林伯円(しようりんはくえん)らの意欲的な試みにより,講談が民衆娯楽として大盛況を呈していることが刺激となっていた。民権講談の嚆矢(こうし)は坂崎斌(びん)(紫瀾)である。彼は高知県で演説禁止処分を受けたため,1882年1月,遊芸稼人の鑑札を受け馬鹿林鈍翁を名乗り一座の興行をはじめた。不敬罪により罰せられ,わずか2日間で幕を閉じたが,後に東京で奥宮健之,奥宮健吉,竜野周一郎らが同じ試みを受け継ぐ。演ずる題目は〈フランス革命史〉〈経国美談〉〈東洋民権百家伝〉など。圧制政府と闘う志士の活躍を描き出し,政府批判のことばをはさみこむことで抵抗精神を鼓舞し,自由平等の必要なゆえんを説こうとしたらしいが,演説会におけると同様,ここでも臨席の警官から〈弁士中止!〉の命令が下り,座布団,きせる,たばこ盆が飛び,怒号のうちに〈解散!〉となることが多く,ほとんど講談にならなかった。それに加え奥宮らは爆裂弾をかかえて決起する計画にいそがしく,片手間にはじめた政治講談はほどなく消滅していった。そのなかから維新明治期の政治家を講釈する伊藤痴遊の〈新講談〉が生まれた。
→講談
執筆者:寺尾 方孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報