伊藤痴遊(読み)イトウチユウ

デジタル大辞泉 「伊藤痴遊」の意味・読み・例文・類語

いとう‐ちゆう〔‐チイウ〕【伊藤痴遊】

[1867~1938]講談師政治家武蔵の生まれ。本名、仁太郎。衆議院議員に当選してから大衆の政治意識高揚のために、政治講談を行う。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「伊藤痴遊」の意味・読み・例文・類語

いとう‐ちゆう【伊藤痴遊】

  1. 講談師。政治家。本名仁太郎。別号双木舎(そうぼくしゃ)痴遊。政治活動手段として講談を読むうち本業となり、政治講談、新講談で名を成す。衆議院議員。慶応三~昭和一三年(一八六七‐一九三八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「伊藤痴遊」の解説

伊藤 痴遊(初代)
イトウ チユウ


職業
講談師 政治家

肩書
衆院議員(政友会)

本名
伊藤 仁太郎

別名
号=双木舎痴遊(ソウボクシャチユウ)

生年月日
慶応3年 2月15日

出身地
神奈川県 横浜市

学歴
横浜小卒

経歴
小学校に学んだだけで、以後独学。明治14年自由党に入り、壮士として活躍。17年頃から政治知識普及などのため政治講談を始める。23年双木舎痴遊の名で“遊芸稼人”の鑑札を受ける。25年伊藤痴遊と名乗り、以来“新講談”と称して、明治維新の偉人伝、明治の政界裏面史などを得意とした。また星亨の知遇を得て政治活動に従い、明治末から東京府・市会議員を務め、昭和3年、7年と衆院議員(政友会)に2度当選した。さらに話術の振興を策して話術倶楽部を発足させ、「痴遊雑誌」を創刊した。話術の巧さでは近代名人の一人にかぞえられる。著書に「明治裏面史」「維新十傑」などのほか、「伊藤痴遊全集」(正18巻・続12巻 平凡社)がある。

没年月日
昭和13年 9月25日 (1938年)

親族
女婿=伊藤 痴遊(2代目)

伝記
武士道の歴史〈3〉 高橋 富雄 著(発行元 新人物往来社 ’86発行)


伊藤 痴遊(2代目)
イトウ チユウ


職業
講談師

本名
妹尾 謙治

別名
前名=伊藤 痴声,田辺 南遊,筆名=落合 無三四

生年月日
明治43年 3月31日

出生地
東京市 小石川区(東京都 文京区)

学歴
明治中卒

経歴
初代痴遊が創立した話術倶楽部の出身で初代の女婿。電機商、NHK職員、靴修繕業など様々な職業を経て、昭和27年12代田辺南鶴の門に入り、伊藤痴声の名で初高座、のち田辺南遊と名乗った。33年2代目痴遊を襲名。話術の神様といわれた初代の“新講談”を受け継いで、昭和の政治・時事講談を約20年演じた。

没年月日
昭和58年 11月2日 (1983年)

親族
岳父=伊藤 痴遊(初代)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「伊藤痴遊」の解説

伊藤 痴遊(1代目)
イトウ チユウ

明治〜昭和期の講談師,政治家 衆院議員(政友会)。



生年
慶応3年2月15日(1867年)

没年
昭和13(1938)年9月25日

出身地
神奈川県横浜市

本名
伊藤 仁太郎

別名
号=双木舎痴遊(ソウボクシャチユウ)

学歴〔年〕
横浜小卒

経歴
小学校に学んだだけで、以後独学。明治14年自由党に入り、壮士として活躍。17年頃から政治知識普及などのため政治講談を始める。23年双木舎痴遊の名で“遊芸稼人”の鑑札を受ける。25年痴遊と名乗り、以来“新講談”と称して、明治維新の偉人伝、明治の政界裏面史などを得意とした。また星亨の知遇を得て政治活動に従い、明治末から東京府・市会議員を務め、昭和3年、7年と衆院議員(政友会)に2度当選した。さらに話術の振興を策して話術倶楽部を発足させ、「痴遊雑誌」を創刊した。話術の巧さでは近代の名人の一人にかぞえられる。著書に「明治裏面史」「維新十傑」などのほか、「伊藤痴遊全集」(正18巻・続12巻 平凡社)がある。


伊藤 痴遊(2代目)
イトウ チユウ

昭和期の講談師



生年
明治43(1910)年3月31日

没年
昭和58(1983)年11月2日

出生地
東京市小石川区(現・東京都文京区)

本名
妹尾 謙治

別名
前名=伊藤 痴声,田辺 南遊,筆名=落合 無三四

学歴〔年〕
明治中卒

経歴
初代痴遊が創立した話術倶楽部の出身で初代の女婿。電機商、NHK職員、靴修繕業など様々な職業を経て、昭和27年12代田辺南鶴の門に入り、伊藤痴声の名で初高座、のち田辺南遊と名乗った。33年2代目痴遊を襲名。話術の神様といわれた初代の“新講談”を受け継いで、昭和の政治・時事講談を約20年演じた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「伊藤痴遊」の意味・わかりやすい解説

伊藤痴遊 (いとうちゆう)
生没年:1867-1938(慶応3-昭和13)

政治家,講談師。旧姓井上。本名仁太郎(にたろう)。横浜生れ。1881年自由党に入り星亨門下の壮士として活躍,86年の静岡事件や翌年の秘密出版事件などに連座し処罰されたこともある。87年政治講談を創始,政界の裏話や人物譚などを巧みに談じ名声を得たため,やがてこれを本業とし,双木舎痴遊と号した。以後,話芸の向上発展に尽くし,晩年には話術研究会を主宰した。一方,東京府会議員などを歴任し,1928年より代議士当選2回。《伊藤痴遊全集》30巻(1929-31)がある。没後,膨大な蔵書,新聞資料は〈痴遊文庫〉として,日本放送協会に移管された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊藤痴遊」の意味・わかりやすい解説

伊藤痴遊
いとうちゆう
(1867―1938)

講釈師。本名仁太郎(にたろう)。横浜生まれ。自由党に入り、星亨(とおる)に師事。東京府会議員などを経て、1928年(昭和3)普通選挙第1回の衆議院議員に当選。一方、1890年(明治23)双木舎(そうぼくしゃ)痴遊と名のり、自らの見聞に裏打ちされた自作の政治講談を行い、のち伊藤と改める。『伊藤痴遊全集』全30巻(1929~31)は講釈師として空前で、ほかに話術の向上を図って話術倶楽部(クラブ)を創設、1935年創刊の『痴遊雑誌』は舌耕(ぜっこう)文芸の研究資料として有益である。なお、2代(1910―83)は本名妹尾(せのお)謙治。初代の娘婿で、田辺南遊を経て1958年(昭和33)に襲名。初代と同じく、政治講談、時事講談を得意とした。

[延広真治]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤痴遊」の解説

伊藤痴遊(初代) いとう-ちゆう

1867-1938 明治-昭和時代前期の政治家,講談師。
慶応3年2月15日生まれ。明治14年自由党にはいり,星亨(とおる)に師事。23年双木舎(そうぼくしゃ)痴遊の名で自作自演の政治講談をはじめ,人気をえる。のち話術倶楽部(クラブ)を創設。昭和3年衆議院議員(当選2回,政友会)。昭和13年9月25日死去。72歳。武蔵(むさし)横浜出身。本名は仁太郎(にたろう)。著作に「明治裏面史」など。

伊藤痴遊(2代) いとう-ちゆう

1910-1983 昭和時代後期の講談師。
明治43年3月31日生まれ。初代伊藤痴遊の娘婿。初代が創設した話術倶楽部(クラブ)の出で,田辺南鶴(なんかく)門下となり田辺南遊を名のる。昭和33年2代を襲名。時事・政治講談を演じた。昭和58年11月2日死去。73歳。東京出身。本名は妹尾(せのお)謙治。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「伊藤痴遊」の意味・わかりやすい解説

伊藤痴遊【いとうちゆう】

政治家,講談師。横浜出身。旧姓井上,本名仁太郎。1881年自由党に入り星亨に師事。加波山(かばやま)事件,静岡事件などに関係,1887年政治,人物論を中心に政治講談を創始,双木舎痴遊と号し政治運動を本業ともした。東京府会議員,1928年,1932年衆議院議員当選。話術研究会を主宰。著書は《伊藤痴遊全集》30巻。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

367日誕生日大事典 「伊藤痴遊」の解説

伊藤 痴遊(初代) (いとう ちゆう)

生年月日:1867年2月15日
明治時代-昭和時代の講釈師;政治家
1938年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android