奥宮健之(読み)オクノミヤケンシ

デジタル大辞泉 「奥宮健之」の意味・読み・例文・類語

おくのみや‐けんし【奥宮健之】

[1857~1911]社会運動家。高知の生まれ。自由民権運動参加人力車夫組織して車会(界)党を組織。明治43年(1910)大逆事件連座し、翌年刑死。おくのみやたけゆき。

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精選版 日本国語大辞典 「奥宮健之」の意味・読み・例文・類語

おくのみや‐けんし【奥宮健之】

社会運動家。土佐高知県出身自由党結成の際に入党し、人力車夫を集めて車界党を組織する。大逆事件に連座し、刑死。安政三~明治四四年(一八五六‐一九一一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「奥宮健之」の意味・わかりやすい解説

奥宮健之
おくのみやけんし
(1857―1911)

明治期の自由民権家、社会主義者。「おくみや」「けんの」「たけゆき」とも読まれている。安政(あんせい)4年11月12日、土佐国(高知県)土佐郡布師田(ぬのしだ)村に、藩主山内容堂(やまうちようどう)の侍講、陽明学者の奥宮正由(まさよし)(号慥斎(ぞうさい))の三男として生まれる。長兄正治(まさはる)は後の宮城控訴院検事長である。健之はベンサムの思想に傾倒して民権家となり、自由党に入党した。馬場辰猪(ばばたつい)らの国友社に加わり政談演説会で活躍。とくに、貧しい労働者の同情者として、1882年(明治15)人力車夫の三浦亀吉らと東京・神田で車夫懇親会を結成、「車会党規則」を発表した。同年官吏職務妨害罪で重禁錮4か月20日、罰金7円を科せられる。84年名古屋事件無期徒刑。特赦により97年に出獄後1906年(明治39)には労働党を組織したが、幸徳秋水らの平民社と関係し、大逆事件に連座。明治44年1月24日死刑に処せられた。著書に『共和政体論』がある。

[松尾章一]

『絲屋寿雄著『自由民権の先駆者』(1981・大月書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「奥宮健之」の意味・わかりやすい解説

奥宮健之 (おくのみやけんし)
生没年:1857-1911(安政4-明治44)

数奇な生涯を送った自由民権家,社会主義者。土佐国生れ。1870年(明治3)上京して英学を修め,80年ころより共存同衆,国友会などの演説会に参加。81年10月自由党の結成とともに入党し,翌年人力車夫を組織して車会党を結成するなど,下層労働者の組織化に尽力した。名古屋事件に関係して85年逮捕され,警官殺害,脱獄未遂などで無期刑の判決を受けた。97年在獄12年で特赦により出獄。欧米を巡視するとともに,社会主義運動や労働運動への関心を強め,1910年の大逆事件の際,幸徳秋水に爆弾の製法を教えたことを理由に検挙され,翌年1月死刑に処された。
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朝日日本歴史人物事典 「奥宮健之」の解説

奥宮健之

没年:明治44.1.24(1911)
生年:安政4.11.12(1857.12.27)
明治期の自由民権運動家。大逆事件に連座し処刑された。土佐国土佐郡布師田村(高知市)に,漢学者慥斎の3男として生まれた。板垣退助らが設立した立志社で自由民権思想を学んだ。明治14(1881)年自由党に入党,翌年には東京の人力車夫300人余りを集めて懇親会(車会党)を組織した。自由党のオルガナイザーとして活躍したが,17年自由党名古屋事件に連座,強盗教唆と警官殺害の罪で逮捕された。20年無期徒刑の判決を受け,北海道樺戸集治監に送られた。特赦により30年出獄し,移民事業を企てたりしたが境遇にめぐまれず,幸徳秋水に接近,幸徳から爆弾の製法を聞かれたことが大逆事件の罪となった。<著作>『共和原理』(翻訳),『奥宮健之全集』<参考文献>絲屋寿雄『奥宮健之』

(山泉進)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「奥宮健之」の意味・わかりやすい解説

奥宮健之【おくのみやけんし】

社会運動家,初期社会主義者。土佐の生れ。1881年自由党に入党。1882年には車会党を組織する。名古屋事件で逮捕服役し1896年釈放。欧米巡遊から帰国後は社会主義に近づき,無政府主義者などとも交わる。1910年大逆事件で検挙され翌年刑死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥宮健之」の解説

奥宮健之 おくのみや-けんし

1857-1911 明治時代の社会運動家。
安政4年11月12日生まれ。奥宮慥斎(ぞうさい)の3男。明治14年自由党にはいる。翌年,三浦亀吉とともに人力車をひく人々を組織して車会党を結成。17年名古屋事件にかかわり,無期徒刑となる。30年出獄。大逆事件の幸徳秋水に爆弾の製法をおしえたとして検挙され,44年1月24日処刑された。55歳。土佐(高知県)出身。

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世界大百科事典(旧版)内の奥宮健之の言及

【車会党】より

…1882年に結成された人力車夫の結社。自由党左派の奥宮健之,桜田百衛らは無産大衆の組織化を計画し,鉄道馬車の創業(1882年6月)によって打撃をうけていた人力車夫の結集に着手した。彼らは自由党員と懇意な車夫の親方三浦亀吉に相談し,10月4日神田明神の境内に車夫300余人を集めて懇親会を開催,席上三浦は〈車夫と雖ども亦皆同等の人間なり〉と訴え,天賦人権思想と団結の必要性を説いた。…

【政治講談】より

…彼は高知県で演説禁止処分を受けたため,1882年1月,遊芸稼人の鑑札を受け馬鹿林鈍翁を名乗り一座の興行をはじめた。不敬罪により罰せられ,わずか2日間で幕を閉じたが,後に東京で奥宮健之,奥宮健吉,竜野周一郎らが同じ試みを受け継ぐ。演ずる題目は〈フランス革命史〉〈経国美談〉〈東洋民権百家伝〉など。…

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