敏満寺石仏谷墓跡(読み)びんまんじいしぼとけだにはかあと

国指定史跡ガイド 「敏満寺石仏谷墓跡」の解説

びんまんじいしぼとけだにはかあと【敏満寺石仏谷墓跡】


滋賀県犬上郡多賀町敏満寺にある墓群。県中部の琵琶湖東岸、湖東平野に面した標高約180mの青龍(せいりゅう)山西麓の斜面に位置する。敏満寺は鎌倉時代初期に重源(ちょうげん)上人が東大寺再興に際して銅製五輪塔(重要文化財)を寄進した寺院で、中世に大勢力を誇ったが、戦国時代に浅井(あざい)氏と織田氏との攻防によって16世紀後半には衰退した。青龍山頂上付近には敏満寺建立に先立つ信仰の対象としての岩磐(いわくら)があり、その麓には13~16世紀まで続く、現存するものとしてはわが国最大規模の中世墓群である石仏谷遺跡がある。寺院の中心部は現在の胡宮(このみや)神社境内付近と考えられ、その坊院跡と思われる平坦面が周辺に広がっている。さらにその北側には15~16世紀の城郭町屋遺構が大規模に展開し、大きな寺院勢力として城塞化していたことがうかがえる。墓跡は胡宮神社の南側に隣接する地区にあり、発掘調査の結果、墳墓埋葬のための墳墓域とその下方の付属施設からなり、1辺80~90mだった。墳墓の分布は約60m四方で、一面に数多くの礫(れき)や石仏、石塔が大量に露出しており、その数は約1600に達する。墳墓域の下方には平坦面が10ヵ所程度あって、基壇や礎石、雨落ち溝が確認され、建物跡と推定されるものがある。また、焼土や焼け石出土から火葬場の可能性がある箇所もある。蔵骨器として使用された焼物瀬戸焼美濃焼常滑焼が多く、ほかに渥美焼信楽(しがらき)焼、備前焼越前焼珠洲(すず)焼、中国陶磁など多様な産地のものが確認されている。こうした遺物から、墳墓が営まれた時期は13~16世紀後半と考えられ、石造物には傑出したものはなく、被葬者は比較的等質な階層と推定される。2005年(平成17)に国の史跡に指定された。近江鉄道多賀大社前駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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