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瀬戸焼 せとやき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

瀬戸焼
せとやき

愛知県瀬戸市およびその付近で産する陶磁器の総称。特に近世以後のものを瀬戸焼,鎌倉~室町時代の窯芸と製品を俗に古瀬戸と称して区別する。平安時代初期頃から無釉の杯や小皿などが焼かれ,後期には灰釉の壺類が作られた。

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デジタル大辞泉の解説

せと‐やき【瀬戸焼】

愛知県瀬戸市およびその付近で作られる焼き物の総称。鎌倉時代加藤景正(かとうかげまさ)が、から施釉陶器の技法を伝えたのが創始とされる。室町末期ごろまでのものは古瀬戸とよばれ、主に唐物(からもの)を模した茶入で知られる。桃山時代から江戸初期にかけては、茶の湯の隆盛に伴って瀬戸黒志野織部黄瀬戸などの茶器が多く焼かれたほか、日用雑器も作られるようになった。磁器の製造は、文化年間(1804~1818)加藤民吉父子が肥前有田から染め付け磁器の製法を伝えたのに始まる。瀬戸物。瀬戸。

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百科事典マイペディアの解説

瀬戸焼【せとやき】

愛知県瀬戸市を中心に作られる焼物の総称。平安期の須恵器の焼成に始まる。古瀬戸の発生については,鎌倉期に加藤景正が中国の陶法をこの地に伝えたのが起源といわれるが,確証はない。
→関連項目唐津焼猿投窯

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世界大百科事典 第2版の解説

せとやき【瀬戸焼】

愛知県瀬戸市を中心として焼造された陶磁器の総称。その起源は古代末期にさかのぼる。古代,中世の瀬戸窯は東西11km,南北10kmの範囲に白瓷(しらし)窯9基,施釉陶窯201基,無釉の白瓷系陶器窯238基の存在が知られている(瓷器(しき))。古瀬戸(こせと)の発生については,1223年(貞応2)道元に随って入宋し陶法を修めた加藤景正(藤四郎)が帰国後,42年(仁治3)に瀬戸で窯を興したとする藤四郎伝説が流布しているが,その根拠は不明である。

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大辞林 第三版の解説

せとやき【瀬戸焼】

愛知県瀬戸市およびその周辺で作られる陶磁器の総称。鎌倉時代に加藤四郎左衛門景正が中国より陶法を伝え、日本陶器の起源となり、灰釉はいぐすり・飴釉あめぐすりが発明され本格的窯業が始まった。桃山から江戸初期にかけて黄瀬戸・瀬戸黒・織部・志野など茶器の類が盛んになるとともに雑器も焼かれるようになり、さらに文化(1804~1818)初年、加藤民吉父子が染め付け磁器を始め、のちには磁器が主流となった。せともの。せと。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

瀬戸焼
せとやき

愛知県瀬戸市一帯で焼かれた陶磁器の総称。日本の陶磁史の骨格をつくるとともに、製陶業の隆盛に大きな役割を果たしてきた重要な窯である。作陶の展開は、大きく中世と近現代とに二分され、二つの峰を形成している。
 中世の瀬戸焼は俗に古瀬戸(こせと)とよばれるもので、13世紀前半に開窯した。これは平安時代に現在の名古屋市、日進市、三好町、東郷町など広範な地域に築かれた猿投(さなげ)窯の系譜を引くものであるが、開窯は加藤四郎左衛門景正(かげまさ)とする陶祖伝説は、瀬戸古窯の考古学研究成果とおおむね時期的には一致している。鎌倉時代には猿投窯以来の築窯技術と施釉(せゆう)法を用いて施釉陶を焼く唯一の窯として発展し、とくに中国から輸入された宋(そう)・元代の青磁・白磁・黄釉陶を倣製(ほうせい)して一頭地を抜く存在であった。製品はおもに飲食器、貯蔵用器、宗教用具などであるが、14世紀初頭になると、これも中国から招来された喫茶の風習に従って人気を集めた茶具を写し、それまでの灰釉に加えて鉄呈色の黒褐釉もくふうされ、その作域は一挙に拡大した。この時期が中世瀬戸焼の最盛期で、製品のほとんどは東日本に流布したが、初めてその一部が海外へ運ばれたことは陶芸史上画期的なできごととなった。
 さらに14世紀中ごろ、室町時代に入ると、釉(うわぐすり)は透明度も増して安定し、それまでの粘土紐(ひも)成形法に加えてろくろ成形が導入され、碗(わん)・皿・鉢などの日用雑器のほか数多くの茶具が焼かれたが、出土品・伝世品を含めて優作には恵まれない。室町後期にはそれまでの窖窯(あながま)にかわる大窯が登場し、中国明(みん)代の陶器を倣製したが、この新形式の窯はむしろ美濃(みの)焼を活性化させる結果を生み、本家の瀬戸焼は衰微して俗に瀬戸山離散とよばれる凋落(ちょうらく)をみたとされる。当時の兵火を逃れて陶工たちが美濃入りしたとする説もあるが、このころ灰釉(かいゆう)から黄瀬戸釉が、また飴(あめ)釉から茶褐色の古瀬戸釉が生まれ、唐物(からもの)茶入れを写した瀬戸茶入れも現れるなど、実際には茶壺(ちゃつぼ)や茶入れを中心にした伝統的製陶の権威が守られ、この状態が17世紀まで貫かれたとの見方もできる。
 鎌倉・室町時代の古瀬戸の陶技が「本業」とよばれるのに対し、江戸後期(19世紀)を迎えて復活した磁器づくりを「新製」という。その間、江戸中期(18世紀)の瀬戸窯の低迷は覆うべくもなく、とくにみるべき活動の形跡がない。起死回生の一打となったのは、磁祖と尊崇される加藤民吉(1772―1824)が1804年(文化1)から07年まで、磁器の製法を九州肥前(ひぜん)の諸窯で学び、帰郷して新生染付磁器製法をもたらしたことである。加えて藩の保護を得た瀬戸焼は急速に蘇生(そせい)し、染付が瀬戸の主流となって川本治兵衛(じひょうえ)仙堂(そせんどう))、加藤春岱(しゅんたい)(1802―77)らの名工を生んだ。以後、明治維新による藩の庇護(ひご)喪失の混乱を乗り切った瀬戸窯は、1872年(明治5)のウィーン万国博覧会への出品を機に海外市場を開拓し、石炭窯や倒炎式丸窯などを開発して機械化を図り、量産体制を確立して、いわゆる「せともの」の語源となるほど、名実ともに製陶業の中心地となって現在に至っている。現代作家では加藤唐九郎が著名である。[矢部良明]
『楢崎彰一・林屋晴三他編『日本陶磁全集9 瀬戸・美濃』(1976・中央公論社) ▽楢崎彰一著『日本の美術43 瀬戸・備前・珠洲』(1976・小学館)』

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