日本歴史地名大系 「敏馬」の解説 敏馬みぬめ 兵庫県:神戸市灘区敏馬歌枕として知られる。現灘区岩屋(いわや)の大阪湾に臨む海岸地域の地名。岩屋には「延喜式」神名帳にみえる売(みぬめ)神社に比定される敏馬神社があるので、その付近と考えられる。「延喜式」玄蕃寮では新羅使が来朝したときには敏売(みぬめ)崎で酒を供することが定められていた。古くから景勝地として知られ、「万葉集」には敏馬・敏馬崎(みぬめのさき)・敏馬浦(みぬめのうら)が詠まれる。同書には巻三に柿本人麻呂の「珠藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に舟近づきぬ」、天平二年(七三〇)一二月に大宰帥大伴旅人が京へ帰る時の「妹と来し敏馬の崎を還るさに独りして見れば涙ぐましも」、巻六に山部赤人の「御食向ふ 淡路の島に 直向ふ 敏馬の浦の 沖辺には 深海松採り 浦廻には 名告藻刈る 深海松の 見まく欲しけど 名告藻の己が名惜しみ 間使も 遣らずてわれは 生けりともなし」、田辺福麻呂の「まそ鏡敏馬の浦は百船の過ぎて往くべき浜にあらなくに」など多くの歌が収められている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「敏馬」の意味・わかりやすい解説 敏馬みぬめ 神戸市東部、灘(なだ)区の西郷(さいごう)川河口付近の古地名。埋立てによる摩耶埠頭(まやふとう)一帯の地で、国道2号沿い(岩屋中町)に汶売(みぬめ)(敏馬)神社がある。 『万葉集』には「玉藻(たまも)刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に舟近づきぬ」(柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ))のほか、「敏馬の浦」「敏馬の崎」として多く詠まれている。敏馬神社の境内には柿本人麻呂の万葉歌碑がある。かつては難波津(なにわづ)と淡路島の中間にある港であったのであろう。[藤岡ひろ子] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by