改訂新版 世界大百科事典 「田辺福麻呂」の意味・わかりやすい解説
田辺福麻呂 (たなべのさきまろ)
奈良時代の歌人。生没年不詳。《万葉集》によると,748年(天平20),左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)の使者として越中守大伴家持のもとに下り歌を詠む。ときに造酒司(さけのつかさ)の令史(大初位上相当の微官)であった。主要な活躍期は738年ごろから745年ごろまでで短い。作品は福麻呂作と明記するのは短歌13首だが,ほかに《田辺福麻呂歌集》より出ずとある長歌10首と短歌21首とがあって,福麻呂作と認められる。作品の大半は諸兄の権勢の盛衰に対応して歌われ,新都賛美や旧都哀悼の歌などを奏で,あるいは宴席において種々の歌を提供している。これは前代の柿本人麻呂や山部赤人にも通じる傾向であり,彼はこの系譜につらなる万葉最後の宮廷歌人であったと考えられる。作風は華麗・巧妙で装飾美に富み,芸達者な面を見せているが,概して重量感がなく平板である。〈咲く花の色は変らずももしきの大宮人(おおみやびと)ぞ立ち変りける〉(巻六)。
執筆者:橋本 達雄
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