改訂新版 世界大百科事典 「使徒教父」の意味・わかりやすい解説
使徒教父 (しときょうふ)
Apostolic Fathers
〈使徒後教父〉とも呼ばれる。この名称は17世紀にフランス人コトリエJ.B.Cotelierが,彼の著書に冠した表題に発し,今日に至っている。伝統的には〈使徒たちの教えを受けた教父たち〉という意味で用いられている。初期においては《バルナバの手紙》《クレメンスの第1の手紙》《クレメンスの第2の手紙》《ヘルマスの牧者》《イグナティオスの手紙》《ポリュカルポスの手紙》《ポリュカルポスの殉教》の7書のみが含まれていたが,19世紀になってから新たに《パピアスの断片》《クアドラトゥスの断片》《ディオグネトスへの手紙》《ディダケー》が加えられた。
これらのうち《ディオグネトスへの手紙》のみは,本来護教文学と呼ばれる一連の文書に属するのであるが,11章1節で著者が自分のことを〈使徒たちの弟子〉と呼んでいるために使徒教父文書に入れられたと思われる。他の9文書について見ると,もっとも早く書かれた《クレメンスの第1の手紙》は後96年であり,もっとも遅い《ヘルマスの牧者》は140年ころ成立したと考えられる。そうだとすれば,この年代は新約文書中の後期のものと重なっているわけで,その意味では使徒教父文書と新約文書との関係はきわめて密接であるというべきである。したがって新約研究にとって使徒教父文書は不可欠であるだけではなく,使徒教父文書の研究のためにも新約文書は絶えず用いられる必要がある。
次に各文書に現れている,当時のキリスト者の直面した問題について概観してみよう。ユダヤ人ないしユダヤ教を,主イエスを十字架に追いやった元凶として,また対ローマ帝国闘争に参加したものとして明らかに反感をもって描いているのが《ポリュカルポスの殉教》である。またローマ帝国によるキリスト者迫害にふれているものとしては,《クレメンスの第1の手紙》《イグナティオスの手紙》があり,《ポリュカルポスの殉教》はまさにこの事柄に関係する文書である。《ヘルマスの牧者》は,当時の教会の指導者だけではなく一般の信者もまた迫害の犠牲となり,多くの主を拒んだ者があったことを告げている。このような中で,イグナティオス,ヘルマス,ポリュカルポスのような人々に見られる態度は,キリストのために殉教の死を遂げることを最高の栄誉とし,これをみずから選びとっていくというものであった。しかし彼らはローマ帝国や皇帝の存在そのものは否定しておらず,その時代の社会組織を批判することも行わなかった。また異端の問題に対して,とくに鋭い攻撃の矢を向けたのはイグナティオスとポリュカルポスであった。イグナティオスが戦った相手はいわゆるキリスト仮現論者(ドケティズム)であった。彼らによれば,キリストの受肉・受難・復活のすべてが仮のものであり,キリストは仮の姿で地上に現れたことになる。これに対してイグナティオスは,もし仮現論者のいうとおりであるならば,キリストによる救いも,キリストのための殉教もまったく無意味になる,といって反論を加えるのである。ポリュカルポスは,このような異端を〈サタンの長子〉と称して非難した。彼によれば,仮現論者の危険性はキリストの十字架と復活を否定し,自分の欲望に従って主の言葉をごまかした点にあった。
《イグナティオスの手紙》には,イエスの受肉・受難・復活を内容とする信仰告白の定式が見られるが,これはやがて〈ローマ信条〉〈使徒信条〉という過程をたどるものの原型になったと考えられる。同時にこの手紙において強調されているのが,主教の権威である。彼によれば,主教は神の代りに教会の主座を占める。その下に長老たち,さらにその下に執事たちがいて,一般の信者は彼らを尊敬し,服従しなければならない。このような単独主教制の教会が,公同教会の具体的顕現であるとされている。
執筆者:川村 輝典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報