昭和40年代の初めころからわが国で使用されるようになったが、その概念規定についてはさまざまな見解があり、定説はない。しかし、その名が示すように工学技術の成果を教育に導入し、教育の方法(とくに授業の内容とその対象である児童・生徒に十分に配慮した方法)を改善し最大の効果をあげることを研究、実践するための教育学の一分野であることに、共通の了解が得られている。
もともと工学は理学と並んで自然科学の一部門であるが、理学が物質や物体のなかの自然現象を対象とするように、工学は社会事象のなかの自然的なものを対象とし、これをシステム・アプローチsystems approachで解明しようとする。システム・アプローチとは、目標の実現に参画するすべての要素を分析し、各要素間相互の依存・独立の関係を明らかにし、各要素の条件ならびに各要素の組合せを最適に設計して、目標を実現しようとする方法である。
システム・アプローチが有効なのは、(1)現代社会においては、社会規模が大規模・複雑化し、事象の局面的・部分的解決ではその変化に十分対応できないこと、(2)情報処理諸科学、たとえば、アメリカの数理哲学者ウィーナーN. Wienerによるサイバネティックスcybernetics、OR(オペレーションズ・リサーチOperations Research)などやエレクトロニクスの発展に伴い、事象の数量化と厳密化が要請されるとともに、これを制御することが可能になってきたこと、などが考えられるからである。一方、行動科学も、人間の行動を対象とし、発生・発達理論や学習理論を発展させてきた。1980年代のなかばからは社会的構成主義Social Constructivism(社会とのかかわりに力点を置く構成主義の立場)に代表される認知理論の研究に移行しつつあるが、行動科学理論がその原点に存在することに疑いの余地はない。
このように、システム・アプローチを教育に導入し、教育における科学性、すなわち再現性・合理性・体系性・客観性を高める努力は、これまでの教育の実践研究においては大きく欠けていたことである。その意味で、教育へのシステム・アプローチすなわち教育工学は教育方法の改善とくに授業の改善に大きな貢献をするものである。
[篠原文陽児]
教育工学の基本は、教育目標を効果的、効率的に達成するために、教授・学習過程にシステム・アプローチを適用し、授業はもとより教育全般をシステム化することである。まずその授業を受けるのに必要な前提条件を児童・生徒に充足する。次に教育内容(教師にとっては教授内容、児童・生徒にとっては学習内容)を具体化した情報(教材)を提示し、児童・生徒がこれを受容する。その際、即時に望ましい反応を形成するとは限らないので、反応を強化するためのいろいろな情報を提示する。
こうして形成された反応の状態を教師が個別に収集し、それが望ましい反応か否かを診断し、これに基づいて児童・生徒の学習内容や態度等の発展・修正、治療の情報を伝達して、個々に自己修正させる。これら一連の状況のコミュニケーション過程の随所でフィードバックが行われていく。また情報の伝達にあたっては、教育機器が適材適所で活用されていく。このときたいせつなことは、目標を効率的に達成するため、目標を目標行動として明確化することと、児童・生徒の反応を的確にとらえること、また的確にとらえられるような反応を形成すること、そして即時に児童・生徒に対し的確なフィードバックを与えることである。
以上のように、授業を一つのシステムとしてとらえ、授業の設計・実施・評価を中心として、これらに関与する人的・物的資源など相互の関係を明らかにし、広くは学級経営、学校経営などに潜む教育の諸問題をも実証的に解決し、教育の諸事象を科学化しようとするのが、現代の教育工学である。しかし、ややもすればインターネットやマルチメディアなど新たな手段を導入することのみに注意が向けられ、教育や授業の対象である児童・生徒、また教育内容についてまったく考慮しないような「箱ものをつくっておしまい」という風潮が見受けられるのは残念なことである。
[篠原文陽児]
授業をシステムとしてとらえることは、いわゆる視聴覚教育の運動の高まりのころに唱えられていた教具に、単なる提示機能だけでなく、反応、評価、そしてこれらを統括する制御機能を求めることになる。エレクトロニクスや教育理論の進歩・発展がこの傾向に拍車をかけることになり、「教育機器」という用語をつくりだしたといえる。1960年代から70年代の後半にかけては、高度産業社会に対応し、社会のオートメーション化と同様、教育活動についてもオートメーション化が可能だと考えられるような、操作性のよい教育機器や、コンピュータで制御されるCAI(Computer Assisted Instruction)、CMI(Computer Managed Instruction)などが出現して活用された。しかし、1989年(平成1)に告示された学習指導要領の「新しい学力観」や、「学校週5日制」と「総合的な学習」の時間の新設を特徴とする98年および99年の学習指導要領における「生きる力の育成」にみられるように、かつての「効率化された教育」から「思考力・判断力・表現力」の育成に教育目標が大きく変化した結果、これらのシステムはしだいに活用されなくなってきている。むしろ、インターネットやマルチメディアなど新たな情報環境がこうした目標の達成に有効であることから、「調べ学習」に代表されるような児童・生徒それぞれの「興味・関心・意欲」による学習を充実させるため、ソフトウェアを含めたコンピュータなどの教育機器の活用が盛んになってきている。ただし、教科教育を中心とした「基礎・基本の充実」においては、CAIシステムのいっそうの活用が有効であることは間違いない。
教具や教育機器が、その概念の成立当初ねらったことは、教師と児童・生徒間の思考の深化や感情の細やかな交流を教授・学習過程のなかに残しつつ、教育目標を効果的、効率的に達成させる補助的な道具としての存在であったはずである。教育工学のねらいもまさにここにあるのであり、新たな情報環境の導入と活用にあたっても十分に検討する必要がある。
[篠原文陽児]
『中野照海編『教育工学』(1979・学習研究社)』▽『西之園晴夫著『教育学大全集30 授業の過程』(1981・第一法規出版)』▽『大内茂男・中野照海著『授業実践に生かす教育工学シリーズ』全6巻(1982・日本図書文化協会)』▽『日本教育工学会編『インターネットが教育を変える』(1999・明治図書出版)』▽『日本教育方法学会編『学力観の再検討と授業改革』(2001・図書文化社)』
物と物との結合や制御の技術学である工学を,人と人との交わりによる教育の営みの過程に応用し,最小の労力で最大の教育効果をあげることを目ざしてつくられた新しい教育学の分野。第2次世界大戦後の技術革新の波の中で,行動科学,情報工学,システム工学,人間工学などの新しい工学分野の研究成果や方法を,教育の場面にも適用しようという目的で研究開発が進められてきた。教育工学は,各種情報の記憶と再生,教育の個々の場面での刺激と反応の制御を行うことを基本としている。したがって教育場面での利用は,第1に生徒や教師や教材などに関する個別の情報の集積,第2に学校での管理運営上のデータ処理があげられる。さらに第3には,具体的な学習過程に入りこみ学習効果をあげるために用いられている。近年はCAI(computer assisted instructionの略。コンピューター利用教育)の開発が盛んである。これは学習過程に応用した場合,あらかじめ学習プログラムを入れておき,細かいステップごとの反応を即座に評価して次の指示を与えていくことによって学習の最適化をもたらそうとするものである(プログラム学習)。このように教育工学の応用は,同時に多くの者の個別学習が指導できるという利点がある。しかし現状では複雑なプログラムの開発には限界もあり,また機械や装置も高価で広く普及するに至ってはいない。教育工学の発展は,教育の営みを細分化して莫大なデータを操作し工学的見地から瞬時に判断することができるので,うまく利用すれば教育上の無駄を解消できる可能性がある。しかし細かい部分にこだわって全体の意味を見失うおそれもある。なによりも,教育は人と人との豊かな人間関係を土台としてこそ成り立つものであるとすれば,教育工学はその基本原則への大胆な挑戦であるともいえる。
→教育機器
執筆者:梅原 利夫
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…さらには教育産業界による教育機器の開発が進められ,教材をプログラム化し学習の指導を行うティーチング・マシンが登場した。これらはプログラムの開発と機器の開発・利用の両方の研究を促進し,教育工学という新分野をも切り開いた。また個別学習の推進など教授方法の改革にも影響を与えている。…
※「教育工学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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