全国どこでも一定水準の教育を受けられるようにするため、各学校が教育課程を編成する際の基準。文部科学省が学校教育法などに基づき、児童生徒に教えなくてはいけない最低限の学習内容を定める。改定は約10年に1回。教科書作成や内容周知のため、告示から実施までの間に3~4年程度の期間を設ける。2018年告示の高校の新学習指導要領は、22年度の新入生から順次導入される。小中学校と同様に「主体的・対話的で深い学び」を掲げ、科目を大幅再編。課題を見つけて解決策を考える授業の充実などを必要としている。
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教育課程の基準として文部科学大臣が公示するもの。告示として『官報』に掲載される。学習指導要領は、どのような教科や活動を、どの学年で、どのように教育するかについての基準的事項を、国の立場から示しているので、学校は、教育課程を編成するに際して、地域や学校の実態、児童・生徒の発達と特性を考慮するとともに、学習指導要領に準拠するよう要求されている。2000年(平成12)現在公示されているのは小・中・高等学校用と、盲(もう)・聾(ろう)・養護学校の小・中・高等部用のものである。また学習指導要領は、上記の学校で使用される教科書の作成、検定に際しての基準にもなっている。なお、幼稚園の教育課程の基準は、「幼稚園教育要領」として、また盲・聾・養護学校の幼稚部については、「幼稚部教育要領」として公示されている。
[伊藤光威]
学習指導要領が教育課程の基準であることの法的根拠は次のとおりである。学校教育法第20条は「小学校の教科に関する事項は、……監督庁が、これを定める」とし、第106条で「二十条……の監督庁は、……これを文部科学大臣とする」として、文部科学大臣が教科について定めることとし、これをもとに学校教育法施行規則第25条が「小学校の教育課程については……文部科学大臣が別に公示する小学校学習指導要領によるものとする」と規定している。中学校、高等学校、盲・聾・養護学校についても、学校教育法第38条、43条、73条、同施行規則第54条の2、57条の2、73条の10に同じ趣旨の規定がある。
[伊藤光威]
最初の学習指導要領は1947年(昭和22)、アメリカのコース・オブ・スタディーCourse of Studyなどを参考にして、文部省(現文部科学省)により作成された。小・中・高等学校について一般編と教科編に分冊され、「試案」と表示されていた。この学習指導要領は51年に改訂されたが、改訂版も「試案」であった。これらの学習指導要領(試案)も、学校教育法施行規則第25条に基づく「教育課程の基準」であったが、その性格は教師の手引き、参考、示唆であり、学習指導要領を手掛りとする教師の自主的な研究と創意工夫により、それぞれの学校にもっとも適した教育課程が編成されるよう期待されていた。この時期の学習指導要領は、文部省のほかに教育委員会も作成できることになっていたが、52年から文部省だけが作成することになった。
[伊藤光威]
1950年代後半から学習指導要領の性格や構成は大きく変化した。55年の高等学校一般編、小・中学校社会科編の改訂では「試案」の表示が削除され、それ以後「試案」のものは作成されなくなった。また内容的にも、それまで基調であった経験主義教育の立場から、教科の系統的教育を重視する立場へと変わった。58年以後の学習指導要領は「文部省告示」の形で示され、同年に小・中学校道徳編、小・中学校学習指導要領、60年に高等学校学習指導要領が、いずれも告示の形で公示された。
その後、小学校については1968年、77年、89年、98年に改訂され、中学校は69年、77年、89年、98年、高等学校は70年、78年、89年、99年とほぼ10年置きに改訂されている。盲・聾・養護学校については、64年に盲・聾学校学習指導要領小学部編が公示されたのち、逐次、追加と改訂が行われ、79年に盲・聾・養護学校全部のものがそろった。58年改訂以後の学習指導要領は、一般編と教科編を分冊しないで、たとえば、68、69年の小・中学校学習指導要領では、総則、各教科、道徳、特別活動についての基準が一冊にまとまる形で示されるとともに、基準は、学校や教師が任意に取捨選択できるものではなく、法的拘束力をもつものとされている。
学習指導要領のそれぞれの改訂は、1950年に設置された教育課程審議会の答申に基づく国の方針に従って行われてきたが、同審議会は2001年1月の中央省庁再編による文部科学省の発足に伴い、中央教育審議会の教育課程分科会(新設)に引き継がれた。1958年期の改訂では道徳教育、基礎学力、科学技術教育、進路特性に応じる教育の強化充実が図られ、68年期は科学技術の進歩と経済・社会の高度成長を支えるための教育内容の現代化、高校教育の多様化がおもな方針となっている。
[伊藤光威]
1977年(昭和52)からの改訂は、教育内容の現代化に伴う教材の過密化と児童・生徒の学習負担の増大、高校進学率が90%を超えたこと、79年からの養護学校の就学義務化などに対応して、ゆとりのある充実した学校生活が実現できるように教育課程の基準を改めることを方針としている。この方針のもとに各教科等の教育目標・内容が精選されるとともに、学校や教師の自主的な判断と裁量、創意工夫に基づく教育活動の幅が広げられたので、基準は整理、大綱化され、その取扱いにかなりの弾力性が認められている。
[伊藤光威]
1989年(平成1)の改訂では、77年の改訂で示された基準、ゆとりのある充実した学校生活の実現の大綱化と強力化を継承しながら、83年の中央教育審議会教育内容等小委員会報告や、84年から87年の臨時教育審議会(臨教審)による答申の提言を踏まえた87年の教育課程審議会の答申を基に作成された。
1989年の改訂の基本的なねらいは、これからの社会の変化とそれに伴う児童・生徒の生活や意識の変容に配慮しながら、生涯学習の基礎を培うという起点に立ち、21世紀の社会の変化に対応できる心豊かな人間を育成することである。そのための方針として、
(1)教育活動全体を通じて、豊かな心をもち、たくましく生きる人間の育成を図る
(2)国民として必要とされる基礎的、基本的な内容を重視し、個性を生かす教育を充実させるとともに、小・中・高等学校の間の教育内容の一貫性を図る
(3)社会の変化に主体的に対応できる能力の育成や創造性の基礎を培うことを重視し、自ら学ぶ意欲を高めるようにする
(4)わが国の文化や伝統を尊重する態度の育成を重視するとともに、世界の歴史や文化についての理解を深め、国際社会に生きる日本人としての資質を養う
という4点があげられた。
より具体的には、(1)小学校1、2年の社会科と理科の廃止と、それにかわる生活科の新設、(2)中学校の選択教科の増加と選択幅の拡大、(3)高等学校の社会科を地理歴史科(地歴科)と公民科とに改編し、また世界史を必修としたほか、家庭科を男女ともに必修にしたこと、(4)小・中・高等学校の入学式や卒業式などにおいて、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導することを義務づけた。
[伊藤光威]
1989年以来、約10年ぶりに全面的に改訂されたため、新学習指導要領とも称された。小学校と中学校については98年(平成10)、高等学校と盲学校・聾学校・養護学校については99年に改訂、告示が行われた。小・中学校および盲・聾・養護学校の小・中学部については2002年4月に実施された。高等学校および盲・聾・養護学校の高等部については2003年から実施される。
改訂された学習指導要領は、2002年からの完全学校週5日制を見通し、「ゆとりの中で生きる力の育成」を目ざしたのが特徴であり、授業時間の削減に伴い、各学校の創意工夫により、自ら学習、自ら考える力を育成して基礎・基本の定着を図ることを大きなねらいとしている。
(1)小学校、中学校において常例として定めてきた授業の1単位時間の長さ45分、50分を廃止して、各学校において定めることにした。高等学校においても従来の50分を標準とする規定を改め、各教科・科目の授業時数を確保しつつ各学校が適切に定めることにした。この結果、たとえば中学校の理科実験を伴う授業は75分、英語は25分にして毎日ということが可能になる。
(2)小学校においては、学習内容を確実に身につけるため各個人に応じた指導を充実させることを重視。個別指導やグループ別指導、繰り返し指導、教師同士の協力指導を例示している。中学校では、前記の例示のうち、繰り返し指導が、「学習内容の習熟の程度に応じた指導」に改められている。高等学校では学校や生徒の実態に応じ個別指導やグループ別指導、教師の協力的指導、生徒の習熟程度に応じた弾力的な学級編成など、指導方法や体制を工夫、改善し、指導の充実を図ることにしている。
これらの例示はいずれも「分かる授業」の充実に役だつことが期待されている。
(3)小学校、中学校における義務教育は授業内容を精選している。小学校では算数25%、理科24.7%、中学校では数学34%、理科26%、いずれも従来よりも教育内容を減らしている。他の教科も同様であり、教育内容は3割前後減少となっている。これにより、全授業の8割の時間で教え、残りの2割は反復学習などにあてるなどして、全員が確実に身につけることが可能となると期待されている。
(4)高等学校においては卒業に必要な単位数が80単位から74単位に縮減され、普通科、専門学科、総合学科の普通教育に関する教科の合計単位数は31単位に縮減されている。この31単位について、国語、地理歴史、公民、数学、理科、保健体育、芸術、外国語、家庭、情報の各教科のうち、保健体育は全科目が必修となっているが、その他の教科・科目について、標準単位数を2単位とする複数の選択科目が設けられている。これは高等学校進学率が97%に達し多様化した生徒に基礎学力を確実に身につけさせるため、基本的な科目を選べるようにしたものである。また、普通教育の教科に「情報」が加わったことが注目される。このほか、各学校が定める教科・科目を設けて、学習指導要領に含まれない対象が学ばれることとなる。
「国際」や「文化」など、大学レベルの分野も対象になり、多様化されている。
(5)「総合的な学習」の時間は、「生きる力をはぐぐむ」という改訂の眼目として位置づけられている。小学校は第3学年から週2時間以上、中学校は週2時間以上、高等学校は105~210単位時間を標準とし、それぞれ教科書を使わない時間にあてている。
指導する上でおもに目標とするのは、まず自ら課題をみつけ、学び、考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。そして学び方やものの考え方を身につけ、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て自己の生き方を考えることができるようにすることである。
以上を踏まえたうえで、国際理解、情報、環境、福祉・健康などの横断的課題、児童・生徒の興味・関心に基づく課題、地域や学校の特色に応じた課題(高等学校では、自己のあり方、生き方や進路を考察する課題)について、実態に応じた活動を行うことになっている。
なお、国際理解に結び付く学習の一環として、小学校において外国語会話をとり入れ、外国の生活や文化に慣れ親しんだりするなど、小学校段階にふさわしい体験学習にすることができる。
[伊藤光威]
学習指導要領の基本的問題は、教育課程の基準として、それがどれだけ法的拘束力をもつかの問題である。これについて以下のような考え方がある。
(1)国は国民の教育を受ける権利を保障する責任を負うことを根拠に、学校教育法および同施行規則をもとに「告示」の形で定められた学習指導要領は法規命令であり、事項によって強弱はあるにしても全体として法的拘束力をもつ。
(2)教育行政による学校教育への関与は条件整備に限られるので、学習指導要領においては条件整備に関連する大綱的基準だけが法的拘束力をもつ。
(3)学校教育は教師の自由で独立の活動によって進められるべきであり、国による強制は許されないので、学習指導要領が「告示」の形をとるにしても、それは広報的性格の「告示」であって法的拘束力はもちえない、したがって学習指導要領は文部科学省の作成する指導助言文書である。
このような法的拘束力についての考え方のちがいは教育裁判(北海道学力テスト、家永教科書、福岡伝習館高校などの裁判・訴訟)における重要な争点となってきた。
[伊藤光威]
学習指導要領について、広く問題にされているのは、国旗と国歌の取り扱いと、学校週5日制への対応である。国旗の掲揚と国歌の斉唱は、1958年の学習指導要領で国民の祝日などにおいてこれを行うのが望ましいとされ、その後の改訂で、入学式や卒業式などにおける指導を義務づけられたことによって多くの論議を引き起こした。この時点でのおもな問題は、(1)国旗を日の丸とし、国歌を『君が代』とすることについて、いずれも実定法上の根拠に乏しく、慣行として認められているにすぎないこと、(2)日の丸と『君が代』はわが国と外国との関係の歴史のなかで、戦争と結び付いて印象づけられていること、(3)国旗の掲揚と国歌の斉唱を学校と教師が一方的に指導することは、国民の思想・良心の自由を侵すおそれのあること、(4)指導を拒んだ教師に対する処分の是非について、などであった。
しかし、1999年(平成11)8月13日「国旗及び国歌に関する法律」(法律127号)が公布・施行され、国旗は日章旗(日の丸)とすること、国歌は『君が代』とすること、およびその制式、歌詞、楽曲が法制化された。ただし政府は、法制化の時点で、学校での日の丸掲揚と『君が代』斉唱を強制することはないとしているが、教育現場での葛藤(かっとう)や国旗・国歌をめぐる論議は続いている。
[伊藤光威]
『国立教育研究所内戦後教育改革資料研究会編『文部省学習指導要領』(1980・日本図書センター)』▽『菱村幸彦著『新・教育課程の法律常識』(1977・第一法規出版)』▽『永井憲一編著『教師と学習指導要領』(1980・総合労働研究所)』▽『大蔵省印刷局編・刊『文部省小学校学習指導要領』『文部省中学校学習指導要領』『文部省高等学校学習指導要領』『盲学校・聾学校及び養護学校教育要領及び学習指導要領』(1999)』▽『日本教育方法学会編『教育課程・方法の改革――新学習指導要領の教育方法学的検討』(1999・明治図書出版)』
小学校,中学校,高等学校などの教育課程に関する大綱的な〈基準〉を示した文書。内容は〈総則〉〈各教科〉,〈道徳〉(小・中学のみ),〈特別活動〉からなっている。1947年の作成以降,51年・58年・68年・77・89年(小学校に即して)と5回の全面改訂が行われてきた。第2次世界大戦後,新しい教育制度の出発へ向けて,1946年4月,文部省内に教科課程改正準備委員会が発足して教育課程改革の作業が行われ,後に各教科別に学習指導要領の作成も進められ,47年3月に〈学習指導要領・一般編(試案)〉が刊行された。その際には,〈アメリカ教育使節団報告書〉(1946年6月)や,アメリカ各州で独自につくられている〈コース・オブ・スタディcourse of study〉なども参考にされた。〈一般編〉では,〈試案〉と明記され,〈これまでの教師用書のように,一つの動かすことのできない道をきわめて,それを示そうとするような目的でつくられたものではない。……教科課程をどんなふうに生かして行くかを教師自身が自分で研究して行く手びきとして書かれたものである〉と述べられていた。つまり当初の考えでは,教育課程に柔軟さをもたせ,教師の教育の自主性を励ますものであった。したがって,学習指導要領の作成も本来は教育委員会の仕事であると期待され,しかも法的な拘束力などは考えられていなかった。このような精神をうけて,各地域や学校ごとに,住民や教師の創意を生かしたさまざまな教育プランがつくられ,授業やカリキュラムについての研究や実践も活発に行われ,教育の現場は活気に満ちていた。
しかし,52年の文部省設置法改正により,学習指導要領の作成主体は文部省にあると明記され,58年の学校教育法施行規則の改正によって,〈教育課程の基準として文部大臣が別に公示する……学習指導要領によるものとする〉と述べられ,以後,文部省は,すべての学習指導要領から〈試案〉の2文字を削り,官報に公示したことを理由に法的拘束性があると主張してきた。学習指導要領が順守すべき性格を強くもたされれば,教育課程は学習指導要領から逸脱せずそれに忠実であるかどうかにもっぱら神経が使われ,教師の自主的な教育創造の努力を励ますという性格は弱くなる。実際,その後の教育課程や教科書検定(教科書検定制度)には,画一化や統制を求める側面が強くなっていった。また学習指導要領の中身じたいにも問題がある。例えば,小学校算数で,小数や分数が多学年にわたって細切れに分散していること,小学校国語で学年ごとに漢字が画一的に指定されていること,《君が代》の〈国歌化〉や愛国心の強調など,多くの批判もある。戦後における学習指導要領の変遷からいえることは,教育課程の〈基準〉はごく基本的なものにとどめ,教師や学校の創意ある研究と実践とを励ますものにすることであろう。
→教育課程
執筆者:梅原 利夫
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(金谷俊秀 ライター / 2011年)
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…普通教育の新教科として1947年9月から社会科が設けられ,教科書は学校教育法で国定制を廃止,49年4月から検定教科書が使用されるようになった。国定教科書廃止の後,文部省は,教師が自主的に教育計画をたてるさいの手引きとして1947年3月以降《学習指導要領(試案)》を刊行し,今後の学校教育について〈下の方からみんなの力で,いろいろと,作りあげて行く〉(《学習指導要領一般編(試案)》,1947年3月20日刊)という方針を示した。この方針に従い,各地で教師自身による調査を基礎にして地域教育計画がたてられ,あるいは教科書にこだわらず,自主的選択教材による授業が展開されるなど,学校には,かつてない自由で活気ある雰囲気がみられた。…
…戦後は,戦前の国家統制下にあった画一的な教育課程に対し,アメリカの経験主義カリキュラムが紹介されたが,1950年代に入り,基礎学力の低下を招くとして批判され,系統だった学習のための課程を求める声が強くなった。また同じころから教育的働きかけは教科指導だけで行われるのではないので,教科以外の学校行事やクラブ活動など多種多様な教育活動をふくめ,教育課程という用語が広く使用されるようになり,文部省も58年の学習指導要領と学校教育法施行規則の改訂において,〈教育課程〉の語を採用した。この学習指導要領では,教育課程は各教科,特別教育活動,学校行事,特設道徳の4領域によって成り立つとされた。…
※「学習指導要領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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