教覚寺(読み)きようかくじ

日本歴史地名大系 「教覚寺」の解説

教覚寺
きようかくじ

[現在地名]宇佐市森山 上森山

森山もりやまの南東部、上森山にあり、浄土真宗本願寺派、宇佐郡真宗三刹の一といわれる。平田ひらた別符を開いた宇佐公通の子孫明心(平田姓)が明応元年(一四九二)蓮如弟子となり創立したという。慶長年間(一五九六―一六一五)の住職教心や休真は平田井手主で、「四日市村年代記」によると、慶長八年に平田井手に関する公事があった時の井手庄屋水割契約状が教心宛に出され、同一六年にも森山教心に井手村々庄屋中の誓約状が出されている。

教覚寺
きようがくじ

[現在地名]長岡市渡里町

下寺しもてら町北端に近く、西福さいふく寺の大門南脇にある。浄土真宗本願寺派、西輝山と号し、本尊阿弥陀如来開基の岸恵はもと武人で、毛利輝元の一族だという。天正年中(一五七三―九二)本願寺顕如大坂石山で織田信長と戦った際、助けを西国毛利輝元に請うた。岸恵は兵粮運送の使となり大坂に出陣し、顕如高徳を仰ぎ、仏門に入った。

教覚寺
きようかくじ

[現在地名]下関市大字吉田

吉田市よしだいちの北、土井どいにある。浄土真宗本願寺派。霊亀山と号し、本尊は阿弥陀如来。

「注進案」によれば、開基は河内国の郷士曾我大蔵輔祐明で、本願寺蓮如に帰依し法名を祐賀と賜り明応四年(一四九五)吉田村奈部山なべやま創建、宝暦元年(一七五一)現在地に移転した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報