デジタル大辞泉
「敦実親王」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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あつみ‐しんのう‥シンワウ【敦実親王】
- 宇多天皇の第八皇子。宇多源氏の祖。諸芸、特に和琴(わごん)、楽琵琶(がくびわ)の名手といわれる。天暦四年(九五〇)出家、法名覚真。号仁和寺宮。あつざねしんのう。寛平五~康保四年(八九三‐九六七)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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敦実親王 あつみしんのう
893-967 平安時代中期,宇多天皇の第8皇子。
寛平(かんぴょう)5年生まれ。母は藤原胤子(いんし)。宇多源氏の祖。寛平7年親王となる。長じて中務卿,式部卿を歴任した。一品(いっぽん)。天暦(てんりゃく)4年出家して仁和(にんな)寺にすむ。和歌,管弦,蹴鞠(けまり)などをよくし,源家音曲の祖といわれた。康保(こうほう)4年3月2日死去。75歳。通称は六条式部卿宮,仁和寺宮。法名は覚真。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の敦実親王の言及
【胡蝶】より
…かわいらしい舞姿の曲。平安時代,延喜8年(908)あるいは延喜6年ともいうが,宇多上皇が子供の相撲を見物したとき,藤原忠房(楽人)がこの曲を作曲,敦実(あつみ)親王(宇多天皇の子,琵琶を弾き,雅楽に造詣が深い)が舞をつけたという。この2人はほかに《延喜楽》も作舞したという。…
※「敦実親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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