文化座(読み)ぶんかざ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「文化座」の意味・わかりやすい解説

文化座
ぶんかざ

劇団名。1942年(昭和17)2月、新派俳優井上正夫の主宰する井上演劇道場を脱退した佐佐木隆(たかし)、山村聡、荒木玉枝、鈴木光枝(みつえ)ら9人が結成、4月に梅本重信作『武蔵野(むさしの)』で旗揚げした。戦前は三好(みよし)十郎の作品を多く上演し、満州(中国東北部)巡演中に終戦を迎えて46年(昭和21)に帰国。翌年三好作『稲葉小僧』で活動を再開、同『その人を知らず』『炎の人』などで劇団としての力をつけた。代表者佐佐木隆が67年に没したあとも鈴木光枝・佐々木愛母子を中心に結束を固めて今日に至っている。そのほか代表作に山代巴(ともえ)原作『荷車の歌』、水上勉(つとむ)作『越後(えちご)つついし親不知(おやしらず)』など。97年(平成9)に初の海外公演として山崎朋子(ともこ)原作『サンダカン八番娼館(しょうかん)』を中国で上演した。

大笹吉雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文化座」の意味・わかりやすい解説

文化座
ぶんかざ

劇団。 1942年2月に,新派の井上演劇道場を脱退した佐佐木隆,鈴木光枝,山村聡,山形勲らで結成。4月第1回公演として梅本重信作『武蔵野』を上演。以後創作劇を主として上演し,特に三好十郎との結びつきが深い。 44年満州に渡り,三好作『彦六大いに笑う』を巡演。第2次世界大戦後帰国,47年井の頭公園劇場で三好の『稲葉小僧』,八木隆一郎の『故郷の声』で活動を再開。以後新劇団の色彩を強め,佐佐木隆の死後は鈴木光枝,佐々木愛を中心に活動を続けている。上演作品に,『荷車の歌』『炎の人』『土』がある。

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世界大百科事典(旧版)内の文化座の言及

【劇団】より

…しかし,29年(昭和4),前年来の中心的メンバーであった小山内薫の急死を契機に築地小劇場は分裂,解散した。以後の戦前新劇は,〈新築地劇団〉〈新協劇団〉〈築地座〉の3劇団を中核に展開したが,40年夏に,左翼的傾向を持つ新築地劇団,新協劇団は強制解散を命じられ,築地座の発展である〈文学座〉(1937創立)のみが戦時中の活動を許され,42年には佐々木隆らにより〈文化座〉が結成された。 45年の敗戦後は,前記2劇団のほか,戦時中に弾圧されていた新劇人たちが一斉に戦前新劇を復興させる旺盛な劇団活動を展開した。…

※「文化座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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