デジタル大辞泉
「文治」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ぶん‐じ‥ヂ【文治】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙 ⇒ぶんち(文治)
- [ 2 ] 鎌倉時代、後鳥羽天皇の代の年号。元暦二年(一一八五)八月一四日に改元、文治六年(一一九〇)四月一一日に次の建久となる。出典は「礼記‐祭法」の「湯以レ寛治レ民〈略〉文王以レ文治レ民」。
ぶん‐ち【文治】
- 〘 名詞 〙 ( 「ぶんぢ」とも ) 教化または法令によって世を治めること。文道で国を治めること。文政。〔礼記‐祭法〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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ぶんじ【文治】
日本の元号(年号)。平安時代、1185年から1190年まで、後鳥羽(ごとば)天皇の代の元号。前元号は元暦(げんりゃく)。次元号は建久(けんきゅう)。1185年(元暦2)8月14日改元。同年7月の京都大地震の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『礼記(らいき)』を出典とする命名。1185年(文治1)3月の壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、源頼朝(よりとも)と弟の源義経(よしつね)の対立が深まった。後白河(ごしらかわ)法皇は同年10月、義経に頼朝追討の、11月には頼朝に義経追捕の相反する院宣を下す。義経は京を脱出し、頼朝は義経追討を名目として諸国に守護・地頭を置くことを法皇に認めさせた。1187年(文治3)、義経は奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)のもとに逃れたが、1189年(文治5)に秀衡の子藤原泰衡(やすひら)に襲撃され自害する。しかし、頼朝は藤原氏を許さず大軍を率いて出兵、同年9月に奥州藤原氏は滅亡し、頼朝は陸奥・出羽を勢力下に収めた。
出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報
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普及版 字通
「文治」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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