デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎静斎」の解説 斎静斎 いつき-せいさい 1729-1778 江戸時代中期の儒者。享保(きょうほう)14年1月1日生まれ。安芸(あき)(広島県)中調子の庄屋の子。京都の宇野明霞(めいか),江戸の服部南郭(なんかく)にまなぶ。京都で門弟に教授したが,その学問は医学,神道にもおよび斎子学とよばれた。安永7年1月8日死去。50歳。本姓は斎藤,別姓に斎宮(いつきのみや)。名は必簡。字(あざな)は大礼。通称は五右衛門。著作に「傷寒論特解」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
百科事典マイペディア 「斎静斎」の意味・わかりやすい解説 斎静斎【いつきせいさい】 江戸中期の儒学者。名は必簡(ひっかん)。安芸(あき)の人。服部南郭に徂徠学を学び,京で講説。また医を業とした。諸侯に彼の講説をきく者が多く,著作に《静斎文集》《傷寒論特解》《神道解》がある。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「斎静斎」の解説 斎静斎 (いつきせいさい) 生年月日:1729年1月1日江戸時代中期の儒学者1778年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by