日本歴史地名大系 「新冠牧場」の解説
新冠牧場
にいかつぷぼくじよう
明治五年(一八七二)北海道産馬の改良を目的として創設された牧場で、当初は日高国新冠・
明治五年、開拓使は新冠郡を牧場の適地とし、同郡を中心としておよそ二億坪(約七万町歩)の用地を設定した(状況報文)。同六年畜舎・牧柵などを補修、日高国各郡から牡馬・牝馬計一千八七二頭を、同九年には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
明治五年(一八七二)北海道産馬の改良を目的として創設された牧場で、当初は日高国新冠・
明治五年、開拓使は新冠郡を牧場の適地とし、同郡を中心としておよそ二億坪(約七万町歩)の用地を設定した(状況報文)。同六年畜舎・牧柵などを補修、日高国各郡から牡馬・牝馬計一千八七二頭を、同九年には
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北海道日高支庁新ひだか町の旧静内(しずない)町にある牧場。正式には農林水産省新冠種畜牧場(現,独立行政法人の家畜改良センター新冠牧場)という。1872年(明治5)に北海道開拓使によって,静内,新冠,沙流(さる)の3郡にわたる約7万haの土地に野生馬を2000頭近く集牧したのがはじまりで,77年には御雇外国人のエドウィン・ダンにより本格的な整備が行われ,日高牧馬場となった。84年に宮内省所管の新冠牧馬場,88年からは新冠御料牧場となり,輓馬(ばんば),軍馬の繁殖・育成,品種改良に貢献した。第2次大戦後一般に開放され,その一部が1947年農林省所管の新冠種畜牧場となり,さらに63年に事業は乳牛の育成・改良による優良種牛の生産に変更され,現在にいたる。日高支庁は全国の軽種馬生産の約75%(1981)を占めるが,この牧場が日高の馬産地形成に果たした役割は大きく,戦後の牧場の開放もこの地方の軽種馬生産を促進した。牧場内に1909年建築の御殿造の貴賓宿舎,竜雲閣があり,また通称二十間道路の8kmに及ぶサクラとカラマツの並木が美しい。日高本線静内駅よりバスが通じる。
執筆者:山下 克彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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