新材木町(読み)しんざいもくちよう

日本歴史地名大系 「新材木町」の解説

新材木町
しんざいもくちよう

[現在地名]中央区日本橋堀留町にほんばしほりどめちよう一丁目・日本橋人形町にほんばしにんぎようちよう三丁目

堀江ほりえ町一―三丁目の東、入堀(東堀留川)の東岸に沿って南北に長く延びる片側町の町人地。北は堀留町二丁目、東は庄助しようすけ屋敷・新乗物しんのりもの町・岩代いわしろ町、南は葺屋ふきや町。入堀東岸沿いは東万ひがしよろず河岸、その東側の中横丁いし新道で、多葉粉たばこ河岸ともよばれる。町名は江戸橋の南の河岸にある本材木ほんざいもく町に対するもので、元和年中(一六一五―二四)から江戸の建設資材を供給する丸太・竹・材木商が集住していた。


新材木町
しんざいもくまち

[現在地名]高松市城東町じようとうちよう一―二丁目・東浜町ひがしはまちよう

東浜町の東、杣場せんば川河口沿いの町人町。南北方向の通りに面した両側町で、南は井口いぐち町。南端城下から東浜村沖松島おきまつしまへの出口にあたり、番所が置かれ、杣場川にしん橋が架かる。生駒氏時代にはまだ町として成立しておらず、東浜港の入口に「材木屋」を記す(生駒氏時代屋敷割図)高松城下図屏風は浜に面した片側町として、町南端部を描く。享保年間(一七一六―三六)の城下図は、とおり町一丁目・東浜町の南部も材木町と記す。天明年間(一七八一―八九)頃までに、外曲輪北東部の北浜材木きたはまざいもく町に対して、杣場川沿いの部分を新材木町といったとみられる(天明年間城下図)。文化年間(一八〇四―一八)町年寄は五島屋甚三郎で、通町一丁目年寄を兼務し、他国産紙仲買商に阿波屋嘉助がいた(東浜記録)


新材木町
しんざいもくちよう

[現在地名]松江市東本町ひがしほんまち一―四丁目

末次本すえつぐほん町・紙屋かみや町の東に位置する町人町。北は鍛冶かじ町、東は漁師りようし町、南は大橋おおはし川に臨む。町名は元材木町の材木問屋が移転してきたことに由来するという。堀尾時代城下図に武家屋敷と大橋川沿いの通りがみえるが、延享城下図では武家屋敷の地が町屋となっており、前記の通りの南側にも町屋がある。当町西部は農作物の問屋が並び、東部には材木・米穀などの物資集散場があったため材木問屋・米問屋・廻船問屋などが軒を並べていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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