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土方歳三 ひじかたとしぞう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

土方歳三
ひじかたとしぞう

[生]天保6(1835).武蔵,石田
[没]明治2(1869).5.11. 箱館
新撰組の副長。文久3 (1863) 年,江戸幕府が京都の尊皇攘夷派志士にそなえて浪士隊を編成したとき,近藤勇らと応募して上洛,浪士隊が新撰組を名のり近藤が局長になるに及んで副長となった。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

土方歳三

江戸幕府が幕末の京都警備のために浪人を集めて作った新選組の副長。局長・近藤勇とともに反幕府派弾圧の中心になった。戊辰(ぼしん)戦争で各地を転戦し、函館・五稜郭(ごりょうかく)の戦いで戦死。日野市の生家敷地内に土方歳三資料館がある。日野市郷土資料館の「石田散薬」づくり体験学習会は毎年7月下旬にミゾソバ刈り、8月下旬に薬づくり。先着30人。無料。

(2014-09-05 朝日新聞 朝刊 都 2地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

ひじかた‐としぞう〔ひぢかたとしザウ〕【土方歳三】

[1835~1869]幕末の新撰組の副長。武蔵の人。隊長近藤勇を助けて活躍。鳥羽伏見の戦いに敗れたのちも東下して官軍に抵抗し、箱館五稜郭(ごりょうかく)で戦死。

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百科事典マイペディアの解説

土方歳三【ひじかたとしぞう】

幕末の剣士。武蔵(むさし)国多摩郡の生れ。1863年幕府の浪人募集に応じ浪士隊に参加,京都に上り,芹沢鴨近藤勇らと組織した新撰組の副長となって尊攘派志士を弾圧した。
→関連項目清川八郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土方歳三 ひじかた-としぞう

1835-1869 幕末の武士。
天保(てんぽう)6年生まれ。武蔵(むさし)多摩郡(東京都)の農家の出身。近藤周助に天然理心流の剣術をまなぶ。文久3年(1863)新選組結成に参加し,その副長として倒幕運動の警戒にあたり,池田屋事件などで活躍。鳥羽・伏見の戦いに敗れ,各地を転戦。榎本武揚(たけあき)のもと箱館(はこだて)五稜郭(ごりょうかく)で抗戦中,明治2年5月11日戦死。35歳。墓所は石田寺(東京都日野市石田)。変名は内藤隼人。

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朝日日本歴史人物事典の解説

土方歳三

没年:明治2.5.11(1869.6.20)
生年:天保6.5.5(1835.5.31)
幕末維新期の新選組副長,のちに箱館五稜郭政権の陸軍奉行並。名は義豊,俳号豊玉,別称を内藤隼人といった。武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市石田)土方義諄の4男。生前に父を失い,6歳で母も失って兄喜六夫婦に育てられる。文久3(1863)年の上洛浪士組に参じ,近藤勇,沖田総司らと共に京都に残留し新選組副長となる。新選組の名を一夜にしてなさしめた池田屋騒動では,古高俊太郎の拷問で足の甲に五寸釘を打ちつけ,百目ろうそくを傷口に流し込んだといわれる。土方は法の番人的存在で局中法度を徹底的に貫き,山南敬助,河合耆三郎らを切腹に追い込むなど内部粛清に猛威を振るった。明治1年1月3日(1868年1月27日)の鳥羽・伏見の戦以後,新選組の戦闘指揮をとる。宇都宮,会津若松と転戦したのち榎本武揚らと五稜郭に渡り,翌年3月回天艦に搭乗して宮古湾の海戦に参じる。その後,箱館戦争雌雄を決する激戦において壮烈な戦死を遂げた。<参考文献>釣洋一『新選組再掘記』

(釣洋一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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江戸・東京人物辞典の解説

土方歳三

1835〜1869(天保6〜明治2)【新選組副長】幕末を戦い続け、凄絶な最後を遂げた新撰組副長。 新選組副長。武蔵国農民の家に生まれる。薬の行商の合間に天然理心流の剣術を学んだと言われ、1863年、浪士隊に参加し上洛、新選組の結成に加わった。池田屋事件の後副隊長となり、1867年幕臣に。鳥羽伏見の戦いに敗れ、幕府瓦解後は関東を転戦、榎本武揚らと北海道へ渡った。五稜郭の戦いで流れ弾により戦死した。

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監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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世界大百科事典 第2版の解説

ひじかたとしぞう【土方歳三】

1835‐69(天保6‐明治2)
新撰組副長。武蔵国多摩郡石田村の土方隼人の四男に生まれる。近藤勇と同郷でともに天然理心流剣道近藤周助の門弟。江戸幕府が関東近在において剣術に心得ある者を徴募すると近藤らとともに応じ,1863年(文久3)春に上洛した。京都郊外壬生(みぶ)村に本陣を置き,清川八郎らの東帰後も京都に残り,京都守護職松平容保(かたもり)の下に新撰組結成に参加,尊攘討幕運動の警戒にあたる。初代組長芹沢鴨暗殺後,近藤が2代目組長になると副長となり,新撰組の組織強化につとめた。

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大辞林 第三版の解説

ひじかたとしぞう【土方歳三】

1835~1869) 幕末の剣客。武蔵の人。新選組副長として京都市内の警衛にあたった。鳥羽伏見の戦いに敗れたのちも東下して官軍に抵抗。宇都宮・会津と転戦し、最後は榎本武揚の軍に幹部として属し、箱館五稜郭で戦死。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

土方歳三
ひじかたとしぞう
(1835―1869)

幕末の新選組副長。武蔵国(むさしのくに)多摩郡石田村(東京都日野市)に土方義諄(ぎじゅん)の四男に生まれる。近藤勇(こんどういさみ)とともに新選組の実権を握り副長となった。1864年(元治1)の池田屋事件、禁門の変などで近藤を助けて働いた。1868年(慶応4)4月に下総(しもうさ)(千葉県)流山(ながれやま)で近藤と別れ、以後、宇都宮、今市(いまいち)、会津(あいづ)で官軍と戦った。仙台から榎本武揚(えのもとたけあき)の軍艦に同乗し、11月箱館(はこだて)五稜郭(ごりょうかく)を占領し陸軍奉行並(ぶぎょうなみ)となった。明治2年5月11日、箱館一本木で戦死。年35。墓は日野市石田の石田寺にある。[小島政孝]

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