日本信販(読み)にっぽんしんぱん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本信販」の意味・わかりやすい解説

日本信販
にっぽんしんぱん

日本のクレジットカード会社の旧名称。1951年(昭和26)日本信用販売株式会社として設立。有力百貨店を加盟店とし、企業や官庁など職域単位の消費者を会員に、クーポンによる割賦購入斡旋(あっせん)事業を始めた。しかし、1959年の通産省通達「百貨店業者の割賦販売自粛について」で規制を受け、住宅ローン業務進出など経営多角化を推進した。1963年に不特定多数の消費者を対象とするショッピング・クレジット制度を開始、同社事業の柱になる。1966年に日本信販と社名を変更、クレジットカードのサービスを開始し、クーポンからカードへの切替えを実施した。1969年に世界最大のクレジットカード組織インター・バンクアソシエーション(現マスターカード・インターナショナル)に加盟、同社国際化の第一歩となり、1987年にVISAビザ)およびマスターとジョイントカードを発行した。1991年(平成3)には同社カードの新名称をNICOS(ニコス)カードとした。2005年株式会社UFJカードと合併しUFJニコス株式会社となり、さらに2006年協同クレジットサービス株式会社と合併、2007年には株式会社ディーシーカードと合併し三菱UFJニコス株式会社となった。三菱UFJフィナンシャル・グループ傘下にある。

[中村青志]

『日本信販編『THE・文化――日本信販の半世紀』(2001・日本信販株式会社経営企画本部広報部)』

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改訂新版 世界大百科事典 「日本信販」の意味・わかりやすい解説

日本信販[株] (にほんしんぱん)

日本で最初の消費者信用販売会社で,最大手。正しくは〈にっぽんしんぱん〉。通称NICOS。1951年,日本信用販売(株)として設立,当初は高島屋,松屋白木屋(現,東急百貨店)などを加盟店とするチケット(日本信販クーポン)による割賦購入斡旋事業を行っていた。これは一流企業,官庁など職域の消費者を会員としてチケットを配布,会員はそのチケットを使って加盟店で物品を購入し,支払の方は分割で行うという仕組みであった。しかし59年に通産省から〈百貨店業者の割賦販売の自粛について〉という通達が出されたため,事業の縮小を余儀なくされた。その後61年に不特定多数の消費者を対象とするショッピング・クレジット制度を開発。これは先の通達の規制を受けないため事業の全国展開が可能となった。66年には創業以来のチケット業務をクレジット・カードに切り替え,社名も現在のものに改称した。そのほか1959年には自動車ローンの取扱いを開始,60年には日本最初の高層高級アパート(マンション)を分譲して不動産業に進出するとともに,住宅ローン業務も始めた。2004年UFJ銀行から2000億円の増資を受け,05年10月社名をUFJニコスと改称した。資本金1017億円(05年9月),営業収益2773億円(05年3月期)。07年ディーシーカードと合併,三菱UFJニコスとなる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本信販」の意味・わかりやすい解説

日本信販
にっぽんしんぱん

消費者信用事業会社である三菱UFJニコスの前身の一つ。1951年に日本信用販売として設立。1966年社名を日本信販に変更。信用販売のパイオニアで,クレジットカードの発行枚数は業界トップ。1986~87年には VISA,マスターカードと提携し,国際カードを発行。1991年,NICOSカードを発行。2005年 UFJカードと合併し,UFJニコスに商号を変更したのち,三菱UFJフィナンシャル・グループ(→三菱UFJ銀行)の傘下に入る。2006年に協同クレジットサービスと,2007年にはディーシーカードと合併し,三菱UFJニコスに社名変更した。

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