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日本劇場 にほんげきじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日本劇場
にほんげきじょう

1933年大川平三郎,根津嘉一郎,小林一三ら財界人の出資で,東京有楽町に建設された劇場。 34年1月開場。ニューヨークのロキシー劇場を模した円形の外観をもつ。間口 14.5mの大舞台があり,客席は3層,2614席。当時,東洋一の大劇場として知られた。日本映画劇場株式会社の経営で,映画とそのほかの出し物を併演したが経営難となり,35年東宝に合併。日劇ダンシングチームによるレビュー,映画,古川緑波榎本健一の一座ら人気劇団の公演などを行い,東宝系のトップ劇場として「ニチゲキ」の愛称で親しまれた。第2次世界大戦後もロカビリーやグループ・サウンズなど,芸能文化流行の拠点として存続。また戦前の小劇場を「日劇ミュージックホール」と改称して,ストリップショーの上演で人気を集めた。 81年2月,地区再開発計画のため閉館。跡地には有楽町マリオンが建設された。

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デジタル大辞泉プラスの解説

日本劇場

東京都千代田区にかつて存在した劇場。略称は「日劇」。1933年開館。座席数は約2000席、最大収容人数は約4000人。当初は映画館として計画されたが、その後ミュージカルや歌謡ショーのステージとしても使用されるようになる。戦後は専属の舞踏集団「日劇ダンシングチーム」のレビューや、音楽フェスティバル「日劇ウエスタンカーニバル」などが人気を博した。1981年閉館。跡地には複合商業施設「有楽町マリオン」が建設された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日本劇場
にほんげきじょう

劇場名。通称日劇(にちげき)。東京・有楽町に1934年(昭和9)1月開場。ニューヨークのロキシー劇場を模したショー、レビューのための劇場として財界人の出資で建設された。客席1~3階、客席数約2600の大劇場で、当初は日本映画劇場株式会社の経営であったが、翌年東宝に合併。東宝は、男女混成の専属舞踊団、のち日劇ダンシングチーム(NDT)を備え、都会的な感覚のレビューやロッパ一座、エノケン一座などの公演をかけ、宝塚歌劇とは違った大人向けのショーやレビューをつくろうとした。戦後は、ジャズやロカビリーなどの音楽ショーと映画の併映で人気を集めたが、レビュー人気の低下と都心再開発の要請で、81年(昭和56)2月15日閉館、現在は映画館名として残っている。[水落 潔]

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世界大百科事典内の日本劇場の言及

【劇場】より


[劇場の多様化]
 震災後に,復興または新しく建設されたおもな劇場は,24年に本郷座・演伎座・松竹座・市村座・帝国劇場・邦楽座に前記の築地小劇場,25年の歌舞伎座とつづく。25年に新たに新橋演舞場,30年に大阪四ッ橋の文楽座や東京劇場,32年に大阪歌舞伎座,33年に有楽町の日本劇場,34年に東京宝塚劇場,35年に有楽座,37年に浅草の国際劇場などが次々に竣工した。大正から昭和へかけて,歌舞伎・新派・新国劇・歌劇・バレエ・新劇・文楽や舞踊などが,上記の劇場はもとより巡業先の各地の劇場やホールで,撩乱たる多様化と繁栄の時代を迎えたのである。…

※「日本劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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