共同通信ニュース用語解説 「日本生命保険」の解説
日本生命保険
1889年創業。株式会社と異なり、保険契約者が「社員」となる相互会社で本店所在地は大阪市。米国、インド、中国、タイに生保業を営む子会社などがある。2015年3月期の保険料等収入は5兆3371億円で戦後初めて第一生命保険に抜かれた。本業のもうけを示す基礎利益は6790億円で首位を守った。総資産は62兆2830億円。従業員数は約7万人。
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1889年創業。株式会社と異なり、保険契約者が「社員」となる相互会社で本店所在地は大阪市。米国、インド、中国、タイに生保業を営む子会社などがある。2015年3月期の保険料等収入は5兆3371億円で戦後初めて第一生命保険に抜かれた。本業のもうけを示す基礎利益は6790億円で首位を守った。総資産は62兆2830億円。従業員数は約7万人。
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保有契約高で業界首位の生命保険会社。1947年(昭和22)日本生命保険株式会社の第二会社として相互組織で発足。旧会社は1889年(明治22)彦根(ひこね)第百三十三国立銀行頭取(とうどり)弘世助三郎(ひろせすけさぶろう)(1843―1913)の発案で関西財界名士多数が発起人となり資本金30万円の有限責任会社として設立され、1891年株式会社とした。創立当初から合理的経営を目ざし、保険料算出の基礎となる死亡表(生命表)を、イギリスの保険会社式のものから日本人自身の生命表を作成して採用したり、契約者配当を実施したりするなど、注目すべき事業活動を行いながら業績を進展させた。太平洋戦争中に富士生命保険と愛国生命保険を合併。戦後は相互組織の第二会社をいち早く設立し新契約の獲得に努めた。日本経済の高度成長が始まるとともに経営合理化の長期計画を策定して販売機構とりわけ専業セールスマン制度の近代化に努め、新保険の発売でリーダーシップを発揮した。資産運用では不動産投資に特色をもち、なかでも1963年に完成した東京・日本生命日比谷(ひびや)ビルの日生(にっせい)劇場は多くの人々に親しまれている。1995年(平成7)保険業法の全面改正により生命・損害保険の子会社による相互参入が可能になり、1996年子会社のニッセイ損害保険(2001年に同和火災海上保険と合併し、ニッセイ同和損害保険となり、さらに2010年、あいおい損害保険と合併し、あいおいニッセイ同和損害保険となる)を設立した。2015年(平成27)には三井生命保険と経営統合し、完全子会社化した。2015年度の収入保険料約6兆0809億円(再保険収入含む)、総資産約63兆4538億円、大阪の本店、東京本部のほか、国内支社等109(2016)、従業員数7万0519人(うち内勤職員1万8564人)。
[森 真澄]
『日本生命保険相互会社編・刊『ニッセイ100年史』(1989)』
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