日比野五鳳(読み)ヒビノ ゴホウ

20世紀日本人名事典 「日比野五鳳」の解説

日比野 五鳳
ヒビノ ゴホウ

昭和期の書家



生年
明治34(1901)年2月20日

没年
昭和60(1985)年1月27日

出生地
岐阜県安八郡神戸町

本名
日比野 信(ヒビノ マコト)

学歴〔年〕
大垣中卒

主な受賞名〔年〕
日展文部大臣賞〔昭和37年〕,日本芸術院賞〔昭和40年〕,勲三等瑞宝章〔昭和54年〕,文化功労者〔昭和58年〕,京都市文化功労者,神戸町名誉町民

経歴
大垣中学で漢文を教えていた書家・大野百錬に出会って書の妙味を覚え、昭和元年古筆が多い京都に転居し、京都女子師範などで教べんをとる傍ら古筆を研究。当時漢字が中心だった京の地で「日本人的なものが好き」と仮名の世界に進み、戦後、日展に第五科(書)が創設されると、活発な発表を続け、26年には「浦島」で特選に入り、やがて仮名の第一人者となる。52年から芸術院会員。59年には郷里の神戸町に五鳳記念美術館が建設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日比野五鳳」の意味・わかりやすい解説

日比野五鳳
ひびのごほう
(1901―1985)

書家。愛知県東春日井(ひがしかすがい)郡勝川町(現春日井市)生まれ。本名信(まこと)。幼くして母と死別し、岐阜の祖父母に育てられる。大垣中学校時代に大野百錬(びゃくれん)に会い、書を本格的に習う。仮名作家として大成した五鳳であるが、仮名は独学で習ったもので、当初百錬にはもっぱら顔真卿(がんしんけい)の書法や晋(しん)唐の碑法帖(ひほうじょう)の書法を習った。彼独特の線質の粘り強さは、このころの漢字の修練によっている。のち京都に出て女学校助教諭を勤めながら、1927年(昭和2)文検に合格、教員生活のかたわら書作に励んだが、48年(昭和23)に日展に参加したのを機に教員を辞し、書壇の重鎮として活躍した。多くの門人を抱え、水穂(すいほ)会を主宰。77年日本芸術院会員となり、83年には文化功労者となる。代表作に『大字仮名いろは屏風(びょうぶ)』(1963・東京国立博物館)などがあり、古典に立脚した雄大で勁強(けいきょう)な仮名作品を残した。

[神崎充晴]

『『日比野五鳳・萬葉百首』(1979・講談社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日比野五鳳」の解説

日比野五鳳 ひびの-ごほう

1901-1985 昭和時代の書家。
明治34年2月20日生まれ。大野百錬(びゃくれん)に漢字をまなび,それを基礎にかなを独学。かな書道界で活躍した。水穂(すいほ)会を主宰。昭和40年芸術院賞。52年芸術院会員。58年文化功労者。昭和60年1月27日死去。83歳。岐阜県出身。大垣中学卒。本名は信(まこと)。作品はほかに「ひよこ」「大字仮名いろは屏風(びょうぶ)」など。
格言など】書は清らかでなければならない。品格の損なわれた書は駄目だ(「遺言」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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