日本大百科全書(ニッポニカ) 「日比野五鳳」の意味・わかりやすい解説
日比野五鳳
ひびのごほう
(1901―1985)
書家。愛知県東春日井(ひがしかすがい)郡勝川町(現春日井市)生まれ。本名信(まこと)。幼くして母と死別し、岐阜の祖父母に育てられる。大垣中学校時代に大野百錬(びゃくれん)に会い、書を本格的に習う。仮名作家として大成した五鳳であるが、仮名は独学で習ったもので、当初百錬にはもっぱら顔真卿(がんしんけい)の書法や晋(しん)唐の碑法帖(ひほうじょう)の書法を習った。彼独特の線質の粘り強さは、このころの漢字の修練によっている。のち京都に出て女学校の助教諭を勤めながら、1927年(昭和2)文検に合格、教員生活のかたわら書作に励んだが、48年(昭和23)に日展に参加したのを機に教員を辞し、書壇の重鎮として活躍した。多くの門人を抱え、水穂(すいほ)会を主宰。77年日本芸術院会員となり、83年には文化功労者となる。代表作に『大字仮名いろは屏風(びょうぶ)』(1963・東京国立博物館)などがあり、古典に立脚した雄大で勁強(けいきょう)な仮名作品を残した。
[神崎充晴]
『『日比野五鳳・萬葉百首』(1979・講談社)』