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旧吉田茂邸 きゅうよしだしげるてい

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知恵蔵の解説

旧吉田茂邸

戦後日本の復興の基礎を築き、その後の保守・親米路線を決定づけた政治家・吉田茂(1878~1967年)が、晩年まで住んだ邸宅。明治時代に養父が神奈川県大磯町に建てた別荘を、戦後、和風住宅に建てかえたもの。没後、西武鉄道に買いとられ、大磯プリンスホテル別館として利用されていた。近年、西武は経営難から売却先を探していたが、地元住民から保存運動が広がり、2012年からは神奈川県の管理下、県立公園として一般公開されることが決まっていた。その矢先の09年3月22日、漏電が原因とみられる火災によって、総ひのき造りの本邸が全焼。数多くの歴史的調度品や家財道具も灰となった。
約3万3千平方メートルの広大な敷地には、焼失した本邸のほか、来賓用客室、お堂(七賢堂)などが建ち、美しい日本庭園が広がる。かつては、その威風から「吉田御殿」と呼ばれていた。設計を手がけたのは、数寄屋造りの近代化を成し遂げ、独自の建築様式を確立した吉田五十八(1894~1974)である。
旧吉田茂邸は、長期保守政権の「裏舞台」としての役割も担っていた。内閣退陣後も、後継の池田勇人佐藤栄作両首相をはじめ、政財界の要人が吉田邸の門をくぐり、就任中「ワンマン宰相」と呼ばれていたすご腕の「元老」に助言や協力をあおいだ。ここから、「大磯詣で」という言葉も生まれている。また、政治の「裏舞台」としてだけではなく、1979年には、大平正芳首相とカーター米大統領の日米首脳会談の場にもなった。吉田茂の孫にあたる麻生太郎首相が、幼少時にたびたび訪問し、組閣名簿の作成を手伝ったことも、エピソードとして残る。跡地には、地元住民による復元計画のほか、自民党有志による迎賓館の建設計画なども挙がっている。

(大迫秀樹 フリー編集者 / 2009年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
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