知恵蔵 「旧吉田茂邸」の解説
旧吉田茂邸
約3万3千平方メートルの広大な敷地には、焼失した本邸のほか、来賓用客室、お堂(七賢堂)などが建ち、美しい日本庭園が広がる。かつては、その威風から「吉田御殿」と呼ばれていた。設計を手がけたのは、数寄屋造りの近代化を成し遂げ、独自の建築様式を確立した吉田五十八(1894~1974)である。
旧吉田茂邸は、長期保守政権の「裏舞台」としての役割も担っていた。内閣退陣後も、後継の池田勇人・佐藤栄作両首相をはじめ、政財界の要人が吉田邸の門をくぐり、就任中「ワンマン宰相」と呼ばれていたすご腕の「元老」に助言や協力をあおいだ。ここから、「大磯詣で」という言葉も生まれている。また、政治の「裏舞台」としてだけではなく、1979年には、大平正芳首相とカーター米大統領の日米首脳会談の場にもなった。吉田茂の孫にあたる麻生太郎首相が、幼少時にたびたび訪問し、組閣名簿の作成を手伝ったことも、エピソードとして残る。跡地には、地元住民による復元計画のほか、自民党有志による迎賓館の建設計画なども挙がっている。
(大迫秀樹 フリー編集者 / 2009年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報