明星院(読み)みようじよういん

日本歴史地名大系 「明星院」の解説

明星院
みようじよういん

[現在地名]桶川市倉田

倉田くらた南東に位置する。五大山与願寺と号し、真言宗智山派。本尊虚空蔵菩薩は開山の自作と伝える。近世末までは新義真言宗で京都御室仁和寺末。開山は隆尊(伝永和三年没)。院号はこの隆尊が修行中、明けの星が井戸水面に映っていたことから明星の井と名付け、この井の名にちなんでつけられたと伝えられる(風土記稿)。宝永七年(一七一〇)の明星院世代書(明星院文書)には隆尊以後の歴代住持として隆景・増景ら一一世までの名が伝えられているものの、慶長四年(一五九九)没の一〇世良鑁以前は不明な点が多い。一条いちじよう(現熊谷市)錫杖しやくじよう(現川口市)の由緒書上のなかで関東新義真言宗の僧録七ヵ寺の一に数えられている。

天正一九年(一五九一)、代官頭伊奈忠次は小室こむろ(現伊奈町)無量むりよう閼伽井あかい坊屋敷を陣屋にあてるため、同坊を「倉田明星院」へ引移らせ、明星院近辺に寺領を与え保護することを約束した(同年六月六日「伊奈忠次替地手形」明星院文書)


明星院
みようじよういん

[現在地名]東区二葉の里二丁目

尾長おなが山の西端、二葉ふたば山西麓にある。月光山大日寺明星院と号し、真言宗御室派。本尊千手観音。浅野氏時代は城下五ヵ寺(曹洞宗国泰寺・天台宗松栄寺・法華宗日通寺・真言宗明星院・浄土宗正清院)の一として重きをなし、藩の祈願所となり、真言宗寺院の触頭であった。

寛永一五年(一六三八)の瑞川寺縁起(同寺蔵)には、広島開府の頃の瑞川ずいせん寺の隣寺について「古為禅刹、今日明星院密宗也」と注記するが、毛利時代広島城下絵図では妙寿みようじゆ寺となっている。「知新集」所収の広島明星院最初建立并由来覚によると、妙寿寺は毛利輝元の母の菩提寺で禅宗寺院、毛利氏の転封とともにはぎ(現山口県萩市)に移ったため、広島城主となった福島正則がその跡に伊予国松山石手いして(現愛媛県松山市)の住僧栄鏡を入れて、南光月素月山明星院と改号して真言宗古義派の寺院とし、福島氏改易後は浅野長晟が父長政の位牌を安置、寺領二〇〇石を寄進したという。


明星院
みようじよういん

[現在地名]福江市吉田町

福江川左岸にある。宝珠山吉祥寺と号し、高野山真言宗。本尊は虚空蔵菩薩。大同元年(八〇六)唐からの帰途空海が立寄って参籠、出家得度のとき以来の深い因縁がある虚空蔵菩薩を安置する霊場であると述べたという(「明星院縁起」寺蔵文書)。また当地で虚空蔵聞持法を修した際、明星太子が現れたため明星庵と号し、永徳二年(一三八二)空海ゆかりの遺跡を慕って訪れた明海が現寺号に改めたと伝える。


明星院
みようじよういん

[現在地名]河内町白沢

旧奥州街道沿いにある。竜池山明星院駄都寺と称し、真言宗智山派。本尊は地蔵菩薩両脇弘法・興教両大師を安置する。

文明一〇年(一四七八)八月、長弘の開山と伝え、初め田原たわら郷に創建されたが慶長年代(一五九六―一六一五)に白沢村に移ったという。寺中の墓碑に慶長一〇年宇加地氏の銘がある。同一七年の関東八州真言宗諸寺連判留書案(醍醐寺文書)に「宇都宮白沢 明星院」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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