デジタル大辞泉 「二十八宿」の意味・読み・例文・類語
にじゅうはっ‐しゅく〔ニジフハツ‐〕【二十八宿】
[補説]
書名別項。→二十八宿
2 連句の形式の一。
中国天文学で用いられた赤道帯の区分法。二十八舎ともいう。赤道に沿って周天を28の不等間隔に分け,天体の赤道方向の位置を表すために用いられた。各宿の西端にある明るい目印の星を標準星(距星という)としたが,この標準星から東隣の宿の標準星までがその宿の赤道広度(赤道宿度)である。中国では周天度を360°ではなくて,1回帰年の長さにあたる値,たとえば四分暦の場合は3651/4度などとしたため,端数の部分が生じるが,その端数は斗宿に集め,それを斗分とよんだ。他の二十七宿については各宿の広がりは整数値で表された。赤道に沿って標準星から測った,その宿のなかに位置する一般の星の角距離を入宿度とよんだ。これは現代天文学の赤経(赤道座標)に相当する。これに対して,赤緯に相当する角距離は天の北極からの距離という意味をもつ去極度と称された。入宿度と去極度によって恒星の位置が示された。太陽,月,惑星の位置についても二十八宿の入宿度によって表された。
二十八宿の体系が完成したのは太陰太陽暦である中国の暦法が完成した時代と一致すると考えられる。すなわち《礼記(らいき)》月令の天文記事の分析などによって,紀元前620年の前後1世紀の範囲内に中国の二十八宿の成立期があるとされている。しかし二十八宿そのものはそれ以前から存在したと考えられる。インドやアラビアの天文学にも二十八宿に相当するナクシャトラやアルマナージルがそれぞれ存在したことから,それらに共通の起源となった地域があったとする推論もある。月の恒星月(月の恒星に対する公転周期)が27.32日であることから,赤道帯に投影して赤道を28に区分した宿を想定すると,月は1日ごとに1宿を通過し,1恒星月にひとめぐりすることになるというところから,二十八宿が生じたとする説のほかに,土星の公転周期29.46日に近いことから,土星の運行に従って周天を28に区分したという説もある。
中国で二十八宿の各宿の名称のすべて見られる考古学的に最古の証拠は,前433年の湖北省随県の曾侯乙の墓から出土した漆器の蓋に描かれたもので,中央に北斗七星を表す斗の字を文様化したもの,左右には東と西に対応する竜と虎の図象を描き,そのあいだに二十八宿名が周還するように書かれている。文献に二十八宿名がすべて記されている最古のものは,前4世紀の《呂氏春秋》円通篇である。漢代初めの前2世紀の馬王堆3号漢墓出土の五星運行表や,同じ世紀にできた《淮南子(えなんじ)》《史記》などにも二十八宿名が完全な形で見える。
二十八宿の距星については,成立の初期とその後とには異同があったが,前4世紀に魏の石申によって整備された方法を継承した《漢書》律暦志以後は,一貫して図に示したのとほぼ同じ星が採用された。戦国時代の石申らは二十八宿星を含む観測を行い,入宿度と去極度を観測し,漢代には太初改暦(前104)のときに落下閎らが赤道宿度を決定した。また唐の《開元占経》などに収録された値は前1世紀の前半の観測の記録をとどめたものとされている。唐の開元年間(8世紀前半)に梁令瓚らが行った観測では,奎宿のみがそれまでのものと異なっていた(アンドロメダ座δ)。宋代には皇祐(1049-53),元豊(1078-85),崇寧(1102-06)年間の3回にわたって観測がなされ,元代には授時暦の編纂のときに観測がなされたが,距星のシステムには変化がなかった。後の明の崇禎年間(1628-44)の観測ではやはり奎宿だけが異なり(アンドロメダ座η),また歳差の関係で觜(し)宿と参(しん)宿の順序が逆になっていた。
二十八宿は角宿から始まり軫(しん)に終わる。二十八宿の起首が角宿から始まるのは,角宿が北斗七星の斗柄が指す方向に当たっていて,斗柄の方向によって1年の季節を定めた時法との結びつきのなごりとされている。前4世紀の初めから周天を12の等間隔に分ける十二次が用いられ,そこを木星が1年に1次ずつ12年間でめぐっていく位置によって年を記す歳星紀年法が成立した。歳星紀年法は太歳紀年法や太陰紀年法(木星の鏡像の位置によって年を表す方法)に発達したが,十二次の方法は中国天文学では二十八宿の体系に代わることはなかった。
二十八宿は7宿ずつ東西南北の4方角に分類され,また色および動物に対応させられた。曾侯乙墓出土の考古学的証拠によってもわかるように,すでに前5世紀に東方青(または蒼)竜,西方白虎の対応がみられたが,漢代の画像石などには東方青竜,北方玄武,西方白虎,南方朱雀の四神図を描いた多数の例がみられる。これは二十八宿と結びつけることによって宇宙誌的な意味を表現したものである。二十八宿図をあしらった文様は唐代の銅鏡の図柄にもみられ,同じころの西域のアスターナ古墓にも二十八宿を描いた壁画があった。日本の高松塚古墳の四神図,二十八宿図も同じく宇宙誌的な意味をもったもので,中国文化圏に広く伝播した証拠である。
執筆者:橋本 敬造
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赤道、黄道の付近で天球を28の不等な部分に分けて設けた星座。この星座を宿とよぶ。元来は、月の天球上の位置を表示するために中国で生まれたもので、その時代については周代初期(前1100ころ)といわれる。各宿でめぼしい1個の星を選び、これを距星と名づけ、これから赤道に沿って測った角距離を入宿度と称して星の位置を表したものである。これに似たものとして、インドでは昴宿(ぼうしゅく)を起点として、牛宿を抜いた二十七宿が用いられた。インドの宿は日の吉凶の迷信を伴っており、唐代に中国を経て日本にも伝わり、七曜とともに10世紀末から具注暦に記載されるようになった。月、日に宿を配し、これに迷信的な注が付加されていた。
[渡辺敏夫]
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…副葬品は楽器,銅礼器,武器,金器,玉器,漆木竹器,竹簡など7000余点があり,なかでも3層の木製の横木にかけられた,最大が高さ153.4cmある64点の編鐘と鎛鐘1点,編磬32点,鼓,瑟,排簫などの楽器のセットはとくに注目される。また漆箱のふたには青竜,白虎と朱書きされた二十八宿の名称のある図があり,二十八宿の考えが早く中国におこったことを示す。銅礼器のセットや高度の鋳造技術を駆使した銅器も注目される。…
…初期の時法と結びついた北斗七星などは古くから注目され,また《詩経》に現れる星座のほかに,四季の目印とされた鳥(うみへび座α),火(さそり座α),虚(みずがめ座β),昴(ぼう)(おうし座プレヤデス=すばる)のような星や星座も《書経》に見える。赤道帯に沿った二十八宿の星座体系も前8~6世紀の春秋晩期には成立していたが,4世紀に魏の石申,斉の甘徳らによって星座が体系化された。司馬遷はこの伝統を集成して《史記》天官書を書いたが,天人相関説にのっとって星座を官階に比して天官とし,北極を中心とした中官と,二十八宿を7宿ずつに分けて東,西,南,北の4官に区分した星座群が記録されている。…
…〈しょうしゅく〉とも読まれ,古代中国において天球上の28の星座を意味する二十八宿のことであるが,仏教の尊像としては〈星宿〉より〈宿曜(しゆくよう)〉という語があり,二十八宿をはじめ十二宮,七曜および九曜なども含め,星や星座を神格化した諸尊を総称していう。これらは単独で信仰され造像されることはないが,密教の修法である北斗七星法に用いる北斗曼荼羅(星曼荼羅)の中に表される。…
…これが今日の星座の原型である。また中国でも,黄道を月の毎月の旅から二十八宿に区分し,全天の星をそれぞれに付属させて,皇帝,后妃(こうき)を初め多く宮廷関係の名をつけた。こうして五惑星がめぐっていく星座,星宿を観察し,またその通路にあたらぬ部分でもそこの星々の光,またたきなどを見て,国家,国君および個人の運命をも占った。…
※「二十八宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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