晏殊(読み)あんしゅ(英語表記)Yàn Shū

精選版 日本国語大辞典 「晏殊」の意味・読み・例文・類語

あんしゅ【晏殊】

中国北宋政治家文人。江西臨川の人。真宗仁宗に仕え、宰相となる。文集二四〇巻があったとされ、詞集「珠玉詞」一巻が存する。(九九一‐一〇五五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「晏殊」の意味・わかりやすい解説

晏殊 (あんしゅ)
Yàn Shū
生没年:991-1055

中国,北宋の宰相,詞人。字は同叔,諡(おくりな)は元献公。江西省臨川の人。真宗朝に15歳で特別試験に及第して任官,仁宗の代には刑部尚書,同中書門下平章事(宰相)兼枢密使(国防長官)に至り,国政の中枢を担当して名声があった。歌辞文芸,においても,小令短編)を主とする北宋前半期の代表的作家で,詞集《珠玉詞》がある。第7子の晏幾道も詞人として知られ,詞集《小山詞》がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「晏殊」の意味・わかりやすい解説

晏殊
あんしゅ
Yan Shu

[生]淳化2(991)
[没]至和2(1055).長安
中国,北宋の政治家,詞人。撫州臨川 (江西省) の人。字,同叔。息子の晏幾道とともに「二晏」といわれる。7歳で文をつくり,14歳で宋代最初の童子のための進士の試験を受け,翌年廷試を受けて時の皇帝真宗から同進士出身を賜わって秘書省正字に任じられた。真宗,仁宗の信任を受け,枢密使,宰相にまで昇進。しかし中傷にあって降職され,潁州,陳州,許州などの知事をつとめたが病のため長安に帰り,翌年正月没した。仁宗はその死をいたんで2日間政治をみるのをやめたという。諡は元献。詞文にすぐれ,特に詞人としては唐,五代の艶麗な詞風を継承して,当時の代表的作家の一人。作品は 240巻あったといわれるが,詞集『珠玉詞』の 136首と,遺文集1巻のみ現存范仲淹欧陽修,孔道輔らは門下生。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「晏殊」の意味・わかりやすい解説

晏殊
あんしゅ
(991―1055)

中国、北宋(ほくそう)中期の政治家、文人。字(あざな)は同叔。撫州臨川(ぶしゅうりんせん)(江西(こうせい)省)の人。1004年科挙の神童科にあげられ、翌1005年に同進士出身を賜った。このとき華北出身の宰相寇準(こうじゅん)は、彼が江南の人であることを理由に反対したが、真宗は「人材登用に遠近はない」と退けた。続く仁宗にも信頼され、1043年宰相にのぼり、范仲淹(はんちゅうえん)らの改革を推進した。人材の育成に努め、五代以来廃れていた学校を復興し、彼の門下からは范仲淹、欧陽脩(おうようしゅう)ら多数の秀才を生んだ。詩文に優れ、文集240巻があったが、伝わっていない。ただ『珠玉詞』1巻は伝わっており、北宋初期の詞人として有名である。子の幾道も詞人で『小山詞』1巻がある。

[竺沙雅章]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android