改訂新版 世界大百科事典 「智塔里遺跡」の意味・わかりやすい解説
智塔里遺跡 (ちとうりいせき)
Chit`amni-yujǒk
朝鮮民主主義人民共和国,黄海北道鳳山郡智塔里にあり,主として櫛目文土器(新石器)時代から原三国時代にわたる遺跡。瑞興川右岸の沖積地にあって,そこに残る古唐城もしくは唐土城を帯方郡治跡とする説が早くからあった。この土城は現在,智塔里土城と呼ばれているが,1954年にその付近に原始の遺物が散布することが知られ,57年に発掘調査された。土城内の第Ⅰ地区では,櫛目文土器時代の平面方形の竪穴式住居跡1基が検出され,そこから櫛目文土器や各種の石器が出土している。上位の原三国時代の文化層からは,漢式の瓦塼や鉄器,青銅製品などの遺物のほか,礎石をもった建物跡の一部が検出された。第Ⅰ地区から南東方に約750m離れた土城外の第Ⅱ地区では,櫛目文土器時代の竪穴式住居跡2基が発見されたが,ここの櫛目文土器には波状点線文が多く,第Ⅰ地区より新しい時期にあたる。ここの第2号住居跡では,土器のなかにヒエかアワの穀粒が540cm3ほど検出され,注意を引いた。さらに第Ⅰ・Ⅱ両地区で無文土器(青銅器)時代のコマ形土器や各種の磨製石器が出土したほか,第Ⅱ地区では無文土器時代の竪穴式住居跡も検出され,また第Ⅰ地区と同様に原三国時代の文化層も認められた。
執筆者:西谷 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報