改訂新版 世界大百科事典 「朝鮮建国準備委員会」の意味・わかりやすい解説
朝鮮建国準備委員会 (ちょうせんけんこくじゅんびいいんかい)
1945年8月15日,日本による植民地支配からの解放を迎えた朝鮮で新国家樹立のために結成された政治組織。ポツダム宣言受諾発表を前に朝鮮総督府は呂運亨(りようんこう)に治安維持への協力を要請,呂は政治犯・経済犯の釈放,自主的治安組織への不干渉などを条件に受け入れ,非合法に作っていた建国同盟を中心として建国準備委員会(建準)を組織した。呂を委員長,安在鴻を副委員長(のち許憲)とする建準は,民族主義者から共産主義者まで含む統一戦線として民衆の支持を得た。〈完全な独立国家の建設〉〈全民族の政治的・経済的・社会的要求を実現しうる民主主義政権の樹立〉などを綱領に掲げ,各地での自主的な動きを基盤に8月末段階で145の支部をもった。建準の当面の課題は治安維持と生活物資の確保だったが,総督府側は行政権力の委譲はおろか当初認めた建準の治安隊による警察権行使すら否定する態度をとり,ひたすらアメリカ軍の進駐を待つ方針をとった。建準では安在鴻の脱退という事態があったが,朴憲永ら朝鮮共産党の発言力増大もあってアメリカ軍進駐前の新政権樹立が計画され,45年9月6日の全国人民代表者会議で朝鮮人民共和国樹立が宣言され,これとともに建準は中央人民委員会に解消した。主席李承晩,副主席呂運亨,内務部長金九などあらゆる勢力を網羅したこの人民共和国は,アメリカ軍により否認され,各地人民委員会に加えられた弾圧によって新政権に成長することなく終わった。
→大韓民国[略史]
執筆者:水野 直樹
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