許憲(読み)きょけん(その他表記)Hǒ Hǒn

改訂新版 世界大百科事典 「許憲」の意味・わかりやすい解説

許憲 (きょけん)
Hǒ Hǒn
生没年:1885-1951

朝鮮弁護士政治家咸鏡北道生れ。日本明治大学法科卒。旧韓国政府法部在職後,弁護士となり,三・一独立運動,朝鮮共産党などの弾圧事件の弁護を担当した。《東亜日報》取締役,普成専門学校校長を歴任する一方,左派民族主義の立場から1929年には新幹会執行委員長となったが,同年末の〈民衆大会〉事件で検挙,投獄された。42年にも検挙されたが,保釈中解放を迎えた。45年以降,朝鮮建国準備委員会副委員長,民主主義民族戦線議長,南朝鮮労働党党首を経て,北朝鮮に行き48年に朝鮮民主主義人民共和国の最高人民会議議長,金日成大学総長,祖国統一民主主義戦線議長などの要職に就いた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「許憲」の意味・わかりやすい解説

許憲
きょけん / ホホン
(1885―1951)

北朝鮮の政治家。咸鏡北道(かんきょうほくどう/ハムギョンプクド)明川生まれ。普成専門学校、日本の明治大学卒業。弁護士となり民族運動被告の弁護で名をあげる。1929年新幹会中央執行委員長。同年、光州学生闘争支援の民衆大会事件で逮捕服役。1945年解放後、建国準備委副委員長、民主主義民族戦線首席議長、南朝鮮労働党委員長などを務める。避難して北に入り、1948年9月創建を宣布された朝鮮民主主義人民共和国の最高人民会議初代議長、1949年祖国統一民主主義戦線議長。1951年8月死去(事故死ともいわれる)。許貞淑(きょていしゅく/ホジョンスク)の父。

玉城 素]

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百科事典マイペディア 「許憲」の意味・わかりやすい解説

許憲【きょけん】

朝鮮の政治家。咸鏡北道生れ。日本の明大を卒業後,弁護士として三・一独立運動(1919年)をめぐる裁判第1次共産党事件(1925年)の弁護に当たる。民族主義左派として1929年新幹会の執行委員長となるが,日中戦争中に投獄された。戦後,朝鮮建国準備委員会副委員長,民主主義民族戦線首席議長となり,1946年平壌での南北連席会議に参加し,南朝鮮労働党委員長を経て北朝鮮に行き,1948年最高人民会議議長,金日成大学総長となり,終始南北統一のために尽力した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「許憲」の意味・わかりやすい解説

許憲
きょけん
Hǒ Hǒn

[生]高宗22(1885).咸鏡北道
[没]1951.8.
北朝鮮の政治家。日本で明治大学に学び,帰国後弁護士を開業。 1919年の三・一運動,第1次共産党事件などで弁護活動を展開。 27年新幹会 (反日民族組織) に参加,のち会長となった。 29年光州学生事件に関係し民衆大会事件で服役。日中戦争勃発後逮捕されたが,第2次世界大戦後は建国準備委員会委員長,南朝鮮労働党委員長。 48年以後は朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議議長,祖国統一民主主義戦線議長,金日成総合大学総長,朝鮮労働党政治委員を兼ねた。 51年8月朝鮮戦争中に病死

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「許憲」の解説

許憲 ホ-ホン

1885-1951 朝鮮の政治家。
高宗22年生まれ。日本に留学,明大を卒業して弁護士となり,三・一独立運動,光州学生事件などで弁護にあたる。1929年新幹会委員長。1945年解放直後に樹立された朝鮮人民共和国国務総理,1946年南朝鮮労働党委員長。1948年北朝鮮にはいり,朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議議長となった。1951年8月死去。67歳。咸鏡道出身。

許憲 きょ-けん

ホ-ホン

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