木沢村(読み)きさわそん

日本歴史地名大系 「木沢村」の解説

木沢村
きさわそん

面積:一五四・九七平方キロ

県のほぼ中央部、那賀郡の北西に位置し、村域は東西に細長い村。東は勝浦かつうら上勝かみかつ町、北は名西みようざい神山かみやま町・美馬みま木屋平こやだいら村、西は三好みよし東祖谷山ひがしいややま村、南は木頭きとう村、南東は上那賀町と接する。四国山地のほぼ中央にあり、西端には県内第二の高峰ジロウギュウ(一九二九メートル)、その北には県の最高峰つるぎ(一九五四・七メートル)と標高一九〇〇メートル以上の山々がそびえ立つ。那賀川の上流地域であり、支流坂州木頭さかしゆうきとう川が流れ、同川の支流が西部に槍戸やりと川、北部に沢谷さわだに川をはじめ数多く流れ、村域はほぼ坂州木頭川とその支流の流域と一致する。坂州木頭川は東流して支流沢谷川と合流してから南に流れを変える。坂州木頭川・沢谷川に沿って国道一九三号が北上し、雲早くもそうトンネルを抜けて神山町に達する。西部は剣山つるぎさん国定公園の中心部であり、剣山スーパー林道が走る。坂州に追立おつたてダムと坂州発電所、出羽いずりは大美谷おおみだにダム、広野ひろのに四国電力広野発電所がある。

原始の遺跡は発見されていないが、隣の上那賀町に古屋岩陰ふるやいわかげ遺跡があるので同じ山間地域である当村にも人が居住していた可能性はある。古代は那賀郡に属し、「和名抄」の那賀郡八郷の一つ山代やましろ郷に含まれるという説もある。「延喜式」神名帳にみえる那賀郡の「宇奈為神社」は木頭の宇奈為うない神社に比定される。


木沢村
きさわむら

[現在地名]坂出市王越町おうごしちよう

乃生のう村の東に位置し、東は香川郡笠居かさい(現高松市)、南は青海おうみ村、北は海に面し木沢湾が湾入している。東・西・南の三方を王越山・大崎おおさき山・羽休はねやすめ山などの五色ごしき台山塊の峰々に囲まれ、村域のほとんどは山地で、海岸部に平地があるにすぎない。そのため陸上交通は不便で、舟をおもな交通手段とする半農半漁の村であった。寛永国絵図に「林田木沢」とみえ、林田はやしだ庄として一括して高付されている。


木沢村
きざわむら

[現在地名]川口町木沢・とうげ

中山なかやま村の北。川口村から三国街道を分れて、緩やかな坂道を登ること約三キロ、二子ふたこ(四三三・五メートル)中腹にある。道は途中中山村野田のだから北上する道と同村竹田たけだで合流してさらに北上し、二子山の反対側の枝村峠から、塩谷しおだに(現小千谷市)竹沢たけざわ(現古志郡山古志村)へ通じる。もと古志こし郡に属した。正保国絵図古志郡の「山二十村ノ内」として村名がみえる。同四年(一六四七)検地帳(町史編さん室蔵)によると、屋敷数一二のうち肝煎が二軒あり、屋敷高六畝歩免税とされている。万治二年(一六五九)の廿六村家数改帳(山崎文雄ノート)では本百姓一〇・名子三。


木沢村
きざわむら

[現在地名]南信濃村木沢

現南信濃村の北東部最奥に位置し、当村で遠山とおやま川に上村かみむら川が合流する。両河川に沿う山腹に集落が点在する。木沢八幡社に当村最古の応永(一三九四―一四二八)在銘の鰐口がある。

村高は正保四年(一六四七)に八八石余(信濃国絵図高辻)、天保五年(一八三四)に一七〇石余(信濃国郷帳)であった。

慶長一八年(一六一三)の伊久間百姓等連判証文(千村文書)に、「合五拾俵者、納四斗入、此榑六千五百丁、但上中之御榑、遠山木沢ニて、来御渡入ニ御奉行衆ヘ相渡し、御手形を取進上可申候」とあり、近世初期の飯田地方の農民が幕府領の蔵米を借用し、遠山地方の榑木山に入り込んで、割り出した榑木で返済したことが知られる。


木沢村
きざわむら

[現在地名]柏崎市木沢

東は野田のた村、西はよね山の山稜を隔て頸城くびき黒岩くろいわ(現中頸城郡柿崎町)、南は市野いちの新田、北は田屋たや村。近世は元和二年(一六一六)から同四年長峰藩牧野忠成領以外は柏崎町と同じ。同四年の長岡藩知行目録では高二四七石七斗余。正保国絵図では、木沢村高一七五石余と古久曾村高七二石余の二村。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では「此所番所 頸城刈羽境」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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