哲学者。山形県生まれ。父は元新庄市長木田清(1900―1993)。海軍兵学校在学中に第二次世界大戦終結を迎える。終戦直後の混乱のなか闇屋までした異色の哲学者である。山形県立農林専門学校(現、山形大学農学部)在学時に、ドストエフスキーやキルケゴールを読んで哲学に目覚めた。ハイデッガーの主著『存在と時間』を研究したくて、1950年(昭和25)に東北大学文学部哲学科に入学。1953年に卒業して同大学院に進む。1958年同大学院を修了すると同時に、東北大学文学部助手に就任した。1960年に中央大学文学部専任講師、1963年助教授を経て、1972年に同教授に就任した。1999年(平成11)に同大学を定年退職し同名誉教授となる。
専門は現代哲学。とくに現象学の研究者として知られる。1970年に著した『現象学』は、その平明達意の語りによって現象学の魅力を紹介し、1970年代の日本における現象学ブームのきっかけをつくった。現象学のなかでも彼が最初に取り組んだのは、メルロ・ポンティの哲学である。1976年から6年間にわたって雑誌『現代思想』に連載した「メルロ=ポンティの世界」は、1984年に大著『メルロ=ポンティの思想』にまとめられたが、本書は今日では、日本におけるメルロ・ポンティ研究の古典とされている。それと並行して、メルロ・ポンティの著作のほとんどを翻訳しているが、この精確で読みやすい邦訳は、「哲学書の翻訳は難解」という常識を変えた。
1990年代に入ると、ハイデッガー哲学の研究に本格的に乗り出した。その研究成果は、後期メルロ・ポンティの「反哲学」という概念を手掛りにニーチェ、ハイデッガーを「反哲学」の系譜で読み解いた『哲学と反哲学』(1990)、本格的なハイデッガー哲学の研究書『ハイデガーの思想』(1993)、ハイデッガーから西洋哲学史を逆照射した『反哲学史』(1995)、『存在と時間』未刊部の再構築を企てた『ハイデガー「存在と時間」の構築』(2000)、ハイデッガーの時間論から出発してショーペンハウアー、ニーチェ、ドストエフスキー、ヤスパース、九鬼周造(くきしゅうぞう)などの「運命」観を論じた『偶然性と運命』(2001)、19世紀末から20世紀への転換期の思想史を論じた『マッハとニーチェ』(2002)などとして刊行された。また、『哲学以外』(1997)、『哲学の余白』(2000)、『闇屋になりそこねた哲学者』(2003)などの軽妙洒脱(しゃだつ)なエッセイや自伝は、一般の読者にも広く受け入れられた。
[須田 朗 2016年8月19日]
『『メルロ=ポンティの思想』(1984・岩波書店)』▽『『哲学以外』(1997・みすず書房)』▽『『哲学の余白』(2000・新書館)』▽『『マッハとニーチェ』(2002・新書館)』▽『『闇屋になりそこねた哲学者』(2003・晶文社/ちくま文庫)』▽『『反哲学史』(講談社学術文庫)』▽『『ハイデガー「存在と時間」の構築』(岩波現代文庫)』▽『『現象学』『偶然性と運命』『ハイデガーの思想』(以上岩波新書)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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