ほんがんじ‐つむらべついんホングヮンつむらベツヰン【本願寺津村別院】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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本願寺津村別院
ほんがんじつむらべついん
[現在地名]東区本町四丁目
御堂筋に東面する。浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。北御堂とも称する。開基は西本願寺一世准如。天正八年(一五八〇)の石山合戦終結後、本願寺の寺基は大坂石山から鷺森(現和歌山市)、貝塚(現貝塚市)、天満(現北区)へと移転し、同一九年京都へ移った。そこで大坂の門徒は六年間寺基があった天満に近い楼の岸に坊舎を建立したという(津村別院誌)。慶長二年(一五九七)この坊舎を津村郷の現在地に移し、同三年准如を迎えて移徙の法会を修した(同年「大坂御坊移徙御法事記」竜谷大学蔵)。同八年准如は大坂天満門徒衆に津村坊舎修造を依頼し、同一〇年再興がなった。東は御堂前町、南は浄覚町、北は津村南之町に接し(本願寺通紀)、南北四四間・東西四八間余あった。東西五三間あったともいう。当初留守居役がおかれ高山氏がこれを世襲したが、寛延年間(一七四八―五一)輪番制に移行、本山役僧が派遣された。また衣番・火番各四人、番方六人、諸講役所留守およそ二〇人ばかり(本願寺通紀)といわれたように、多数の寺僧や寺侍によって管理された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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