日本歴史地名大系 「難波別院」の解説
難波別院
なんばべついん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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大阪市中央区にある真宗大谷派(東本願寺)の別院。本願寺派の津村別院を北御堂(きたのみどう)と称するのに対して,南御堂(みなみのみどう)ともいう。1594年(文禄3)本願寺教如は本願寺住持職を弟准如に譲って隠退,翌95年に摂津国西成郡渡辺の石山本願寺の旧地に寺を営み,大谷本願寺または大坂本願寺と号したのが起源である。1598年(慶長3)現在地に移り,1603年堂舎を完成,これを難波御堂と称した。前年の1602年に,教如は徳川家康から京都七条烏丸に寺地を寄進され大谷派本願寺(東本願寺)を興したので,難波御堂を別院とした。1682年(天和2)には朝鮮使節の宿所に充てられた。1712年(正徳2)本堂を改築したが,これを機会に寺域を拡張し堂舎を整備した。
執筆者:千葉 乗隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大阪市中央区北久太郎(きたきゅうたろう)町にある真宗大谷(おおたに)派の別院。「南御堂(みなみみどう)」とも称する。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。1595年(文禄4)教如上人(きょうにょしょうにん)が創建し、1598年(慶長3)現在地に移った。初め大谷本願寺と号していたが、1602年大谷派本願寺が京都烏丸(からすま)に造営されてから別院となり、1671年(寛文11)輪番の制が敷かれた。諸堂宇が次々と建ち、寺域を広め、西本願寺の津村別院(「北御堂」と称する)と並んで市中の偉観となったが、1945年(昭和20)の戦災で旧観を失った。現本堂は61年(昭和36)の再建。境内には芭蕉(ばしょう)の枯野の句碑がある。
[瓜生津隆真]
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