杉尾村(読み)すぎおむら

日本歴史地名大系 「杉尾村」の解説

杉尾村
すぎおむら

[現在地名]平村杉尾

渡原どのはら村の北、庄川左岸の杉尾峠(細野峠)の登り口に位置する。「三州測量図籍」に「城端より五ケ山細野峠通大崩嶋迄道筋の図」があり、城端じようはな町から細野ほその(現城端町)まで二〇町余、細野村から五箇山ごかやま境細野峠まで一里五町余、峠から杉尾村まで三〇町余と付記されている。里方では細野峠とよぶが五箇山側では杉尾峠とよんで、祖山そやま村など一〇ヵ村の交通の要所であった。


杉尾村
すぎおむら

[現在地名]橋本市杉尾

境原さかいはら村の北、葛城(和泉)山脈に連なる山に囲まれ、東谷ひがしたに川の水源に位置。古く炭尾すみおと称し、建長三年(一二五一)の隅田北庄検田取帳(葛原家文書)に「炭尾」とみえ、中世は隅田すだ庄に属した。応永二二年(一四一五)二月二九日の葛原明観譲状写(葛原家文書)によれば、明観は「すミのおのくしあし」を三郎左衛門尉に譲っている。慶長検地高目録には墨尾すみお村とあり、村高一〇七石余、小物成七合。上組に属し、慶安四年(一六五一)の上組在々田畠小物成改帳控(土屋家文書)では家数三二(役家八など)、人数一三二、牛一一、小物成は茶六五匁、紙木半束。


杉尾村
すぎおむら

[現在地名]今立町杉尾

月尾つきお谷の谷口に位置し、北は月尾川を隔て山室やまむろ村と相対する。文明年間(一四六九―八七)と大永年間(一五二一―二八)大滝寺々庫収納田数帳(大滝神社文書)には杉尾の地名を冠する者数名が記され、大滝おおたき寺の年貢賦役を務めている。正保郷帳では村高は一六七石余で、うち田方五八石余・畠方一〇八石余。承応三年(一六五四)の越前国今南東郡之内杉尾村水帳(沢家文書)では二三九石余と増加するが新出分の約七二石はすべて田方であった。享保六年(一七二一)の庄境組三三ケ村明細帳(市橋家文書)によると家数三一軒・人数五一人。


杉尾村
すぎおむら

[現在地名]静岡市杉尾

藁科わらしな川の支流杉尾川上流、志太しだ郡との境に位置し、南は黒俣くろまた村。領主安西外あんざいそと新田と同じ。元禄郷帳では高五四石余。「駿河記」では家数一〇。郡境の洗沢あらいざわ志太郡駿府産物交易の拠点とされていたという(駿河記・修訂駿河国新風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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