杉山丹後掾(読み)すぎやまたんごのじょう

精選版 日本国語大辞典 「杉山丹後掾」の意味・読み・例文・類語

すぎやま‐たんごのじょう【杉山丹後掾】

江戸前期の古浄瑠璃太夫通称、七郎左衛門。京都滝野検校(けんぎょう)浄瑠璃を学び、江戸に出て操り芝居興行評判をとった。承応元年(一六五二天下一杉山丹後掾藤原清澄を受領江戸浄瑠璃の祖といわれる。生没年不詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「杉山丹後掾」の意味・読み・例文・類語

すぎやま‐たんごのじょう【杉山丹後掾】

江戸前期の古浄瑠璃の太夫。江戸浄瑠璃の祖。京都の人といわれる。通称、七郎左衛門。滝野検校けんぎょうに学び、江戸に出て操り芝居を興行。承応元年(1652)受領して「天下一」の称を冠せられた。生没年未詳。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉山丹後掾」の意味・わかりやすい解説

杉山丹後掾
すぎやまたんごのじょう

生没年不詳。江戸初期の古浄瑠璃(こじょうるり)の太夫(たゆう)。初名杉山七郎左衛門。京都で滝野検校(けんぎょう)から本節(ほんぶし)を相伝。1616年(元和2)江戸で操り芝居を興行。52年(承応1)京に上り、天下一杉山丹後掾藤原清澄を受領(ずりょう)。ふたたび江戸に下って3代将軍徳川家光(いえみつ)の上覧を受けるなど62年(寛文2)まで活躍。その後入道して宝山高智を名のる。薩摩浄雲(さつまじょううん)とともに江戸古浄瑠璃の祖といわれる。芸風は浄雲に比べて優美で、軟派的。その芸風は実子江戸肥前掾(ひぜんのじょう)から江戸半太夫、さらに十寸見河東(ますみかとう)へと伝承された。正本(しょうほん)では『清水(きよみず)の御本地(ごほんじ)』(1651)が現存

[岩田道則]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杉山丹後掾」の意味・わかりやすい解説

杉山丹後掾
すぎやまたんごのじょう

江戸時代の古浄瑠璃の太夫。活動期は寛永 (1624~44) 頃から寛文2 (62) 年。初名を杉山七郎左衛門といい,京都から江戸に下って操芝居を始め,薩摩太夫に対抗する流派をなした。承応1 (52) 年上京して受領し,杉山丹後掾藤原清澄を名のり,江戸に帰って活躍を続けるうち,寛文2年に子が肥前掾を受領して以後活動を停止した。その流風は薩摩太夫の硬派に対する軟派で,語り物は慶安4 (51) 年刊杉山七郎左衛門正本『清水の御本地』のほか,『日蓮記』『竹とり翁』などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉山丹後掾」の解説

杉山丹後掾 すぎやま-たんごのじょう

?-? 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
京都で滝野検校(けんぎょう)にまなび,元和(げんな)2年(1616)から江戸で操り芝居を興行。薩摩(さつま)浄雲とともに江戸浄瑠璃の開祖とされる。承応(じょうおう)元年天下一杉山丹後掾藤原清澄(きよずみ)を名のる。通称は七郎左衛門。作品に「清水(きょみず)の御本地」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の杉山丹後掾の言及

【浄瑠璃】より

…その後の展開のうち,義太夫節成立までを〈古浄瑠璃〉と呼ぶ。江戸では1616年(元和2)京の滝野検校(浄瑠璃の伴奏に三味線を用いたという)の門人杉山七郎左衛門(杉山丹後掾)が下り,寛永(1624‐44)初めころに下った薩摩浄雲とともに操り興行を行った。丹後掾の正本に《清水の御本地》があるが,その末流は扇情的・抒情的な軟派の流風に傾く。…

※「杉山丹後掾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android