改訂新版 世界大百科事典 「杉山平助」の意味・わかりやすい解説
杉山平助 (すぎやまへいすけ)
生没年:1895-1946(明治28-昭和21)
評論家。旧備前藩士の庶出として大阪市に生まれる。7歳で上京し,慶応幼稚舎に入り,大学にまで進むが,肺結核にかかり中退して療養生活を送る。生田長江に師事して小説を書くが成功せず,その後,《文芸春秋》に匿名批評を,《朝日新聞》〈豆戦艦〉欄に氷川烈の筆名で雑誌評を書くにいたり,ジャーナリズムの注目を集めた。その庶民的立場からの辛辣(しんらつ)な筆鋒と文学にとどまらず政治,社会,風俗批評にも及ぶ視野の広さは,十五年戦争初期の固く口を閉ざしたジャーナリズム界にあって貴重な存在であった。しかし,《松岡洋右論》(1940)で松岡の外交姿勢を支持するなど,しだいに超国家主義的色彩を強めていった。著書に《文学的自叙伝》(1936),《支那と支那人と日本》(1938),《文芸五十年史》(1942)などがある。
執筆者:赤沢 史朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報