李存勗(読み)りそんきょく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「李存勗」の意味・わかりやすい解説

李存勗
りそんきょく
(885―926)

中国、五代後唐(こうとう)の初代皇帝(在位923~926)。廟号(びょうごう)は荘宗(そうそう)。突厥(とっけつ)沙陀(さだ)族の出身で唐末の群雄李克用(りこくよう)の長子として生まれ、908年父の死後、山西省太原(たいげん)で晋(しん)王の位を継いだ。劣勢にあった後梁(こうりょう)との抗争攻勢に転じ、河北諸藩を併呑(へいどん)してほぼ後梁に匹敵する勢力となり、923年帝位につき、唐朝復興を標榜(ひょうぼう)して国号を大唐と定め、同年中に激戦のすえ後梁を滅ぼし、洛陽(らくよう)に遷都した。ついで925年、四川(しせん)に拠(よ)る前蜀(ぜんしょく)を討滅し、ここに淮水(わいすい)・揚子江(ようすこう)上中流域以北の地を統一することに成功した。しかし宦官(かんがん)、伶人(れいじん)を側近に置いて信任し、宿将を遠ざけるなど、内政は乱れて軍士の不満が高まり、一族李嗣源(りしげん)明宗(めいそう)が擁立されて反旗を翻すなかで、近臣の謀反によって殺された。

[高橋継男]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「李存勗」の解説

李存勗(りそんきょく)
Li Cunxu

885~926(在位923~926)

五代後唐の建国者。廟号は荘宗(そうそう)。突厥沙陀(とっけつさだ)部朱邪(しゅや)氏の出身。李克用(りこくよう)の長子。五代皇帝中の才人で戦術,音楽に優れる。923年後梁(こうりょう)を破って後唐を建て,さらに陝西(せんせい),四川も併合した。独裁者で側近を重用したため武将反乱を招き,殺される。

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改訂新版 世界大百科事典 「李存勗」の意味・わかりやすい解説

李存勗 (りそんきょく)
Lǐ Cún xù

荘宗(そうそう)

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