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李思訓 りしくん Li Si-xun

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李思訓
りしくん
Li Si-xun

[生]永徽4(653)
[没]開元6(718).8.
中国,唐の宗室画家。字は建,または建景。雲麾 (うんき) 将軍右武衛大将軍に任じられたため,大李将軍と呼ばれた。初・盛唐期を代表する画家。画風は伝統的な青緑山水画風を止揚したもので,当時の貴族趣味によく合い,のちに北宗画の祖とされた。

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デジタル大辞泉の解説

り‐しくん【李思訓】

[653~718]中国、唐の画家。字(あざな)は建見。王族の出身。子の李昭道とともに青緑山水・金碧(きんぺき)山水にすぐれ、大李将軍・小李将軍と並称され、北宗画の祖とされる。

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百科事典マイペディアの解説

李思訓【りしくん】

中国,唐代の画家。皇族に生まれ,高官に登った。若年より書画にすぐれ,ことに山水画は国朝第一といわれた。画風は,筆跡が遒勁(しゅうけい)で品格高奇と伝え,細密画風のものであったらしい。
→関連項目趙令穣北宗画

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世界大百科事典 第2版の解説

りしくん【李思訓 Lǐ Sī xùn】

653‐718
中国,唐の画家。宗室貴族に属し,玄宗朝の宰相李林甫の伯父に当たる。高宗のとき江都令となったが,則天武后武周革命に入ると,官を棄て隠れた。中宗朝に出て宗正卿となり,益州長史を歴任し,開元(713‐741)初年に左羽林大将軍,次いで右武衛大将軍に転じた。没年は開元8年(720)の説もある。一族の中に画をよくする者が多く,特に子の李昭道は海図で知られ,父の大李将軍に対して小李将軍と呼ばれた。画は山水・樹石を得意とし,その青緑の着色山水画をもって,後世の南北宗論において,北宗(ほくしゆう)の始祖とされた。

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大辞林 第三版の解説

りしくん【李思訓】

653~718) 中国、唐代の画家。字あざなは建見。唐の皇族の出身。彩色華麗な山水画をよくし、唐朝第一といわれた。息子李昭道とともに、父は大李将軍、子は小李将軍と呼ばれ、後世北宗画の祖とされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李思訓
りしくん
(653―718)

中国、唐代の画家。唐の宗室の出身で、玄宗朝の宰相李林甫(りりんぽ)の伯父にあたる。高宗朝に江都令となり、一時官を去ったが、中宗復位ののち、益州(えきしゅう)長史、左羽林将軍、右武衛大将軍を歴任した。若年より書画に優れ、呉道玄、王維とともに初・盛唐を代表する画家で、明(みん)末には北宗(ほくしゅう)画の祖とされ、山水画は国朝第一といわれた。子の李昭道(りしょうどう)もまた画(え)をよくし、大李将軍、小李将軍と父子並び称されている。同代の書画論家張彦遠(ちょうげんえん)は「山水の変は呉(道玄)に始まり、二李に成る」と評したが、呉道玄の自由奔放な画風とは対照的で、きわめて精緻(せいち)な細密画的作風だったらしい。[吉村 怜]

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世界大百科事典内の李思訓の言及

【南宗画】より

…南宗画の基本的な立場は,刻画(細かく輪郭づけて描く)よりも渲染(せんせん)(水墨でぼかす),行家(こうか)(くろうとで匠気をもつ)よりも利家(りか)(しろうとで士気をもつ)というもので,様式的には細密巧緻で濃厚豊麗なものより,簡略粗放で軽淡清雅をよしとし,精神的には技巧に基づく客観主義より文人的教養を伴った人格表現を重視した。 南宗画という命名の由来は,当時流行の禅宗趣味(董其昌はかなり禅学に没頭している)から,五祖弘忍(ぐにん)の後が,神秀(じんしゆう)の北宗禅の漸修と,慧能(えのう)の南宗禅の頓悟とに分かれ,慧能が六祖を継いでから簡略を旨とする南宗禅が栄えたことになぞらえて,画にも北宗,南宗の別があるとし,その起源も禅宗と同じく唐にまでさかのぼり,北宗は細密な輪郭線によって着色山水を描く李思訓に始まり,南宗は渲淡によって李思訓らの鉤斫(こうしやく)(輪郭でくくる)の法を一変した王維に始まり,画でも禅の頓悟に比せられる南宗画が栄えたという。莫是竜によれば,北宗は李思訓,李昭道,趙幹,趙伯駒,趙伯驌,馬遠,夏珪とつながり,南宗は王維,張璪,荆浩,関仝,郭忠恕,董源,巨然,米芾(べいふつ),米友仁,元末四大家(黄公望,呉鎮,倪瓚(げいさん),王蒙)と続くとするが,董其昌,陳継儒のいう系譜とはやや異なる。…

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