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東京市電争議 とうきょうしでんそうぎ

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大辞林 第三版の解説

とうきょうしでんそうぎ【東京市電争議】

1911年(明治44)東京市電気局発足以来、37年(昭和12)までに東京市電の労働者が行なった大小三〇回の争議。労働者たちは、8時間労働制など待遇改善を要求し、また人件費削減など労働条件悪化に反対して争議を行なった。

出典|三省堂
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世界大百科事典 第2版の解説

とうきょうしでんそうぎ【東京市電争議】

1911年に民営会社から東京市電気局へ移管されて以降,37年までの間,東京市電の労働者は大小30回の争議を行い,勇名をはせた。とりわけ昭和期には,合法左翼の最大拠点として知られていた。おもな争議は次のとおりである。(1)1911年12月,東京市電気局へ移管される際,民営会社解散時の配当金をめぐる不満で,労働者は大晦日から2日間のストライキに入った。要求を部分的に実現して争議は終結するが,これを支援した片山潜をはじめ約60人が検挙された。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東京市電争議
とうきょうしでんそうぎ

1911年(明治44)8月1日の東京市電気局開庁以来、37年(昭和12)に「産業協力」が唱えられるまでに行われた30回の争議(うち罷業17回)の総称。最初の争議は、市営移管に伴う東京鉄道株式会社解散手当の分配をめぐり、開庁わずか5か月後の1911年12月に起こった。30日に一部罷業、31日から翌年1月1日まで全線罷業で、社会主義者片山潜(せん)が関与している。19年(大正8)9月3日には中西伊之助(いのすけ)を委員長とする日本交通労働組合が結成され、8時間労働制・日給制を骨子とした待遇改善要求を掲げて争議。罷業も行われたが、組合側が敗北、同組合は8か月にして壊滅した。のち、29年6月25日には東京交通労働組合が発足、賞与2割減・昇給停止の発表に憤激し12月5日罷業を指令、6日より総罷業に入った。いったんは警視総監の調停で妥結したものの翌年合理化を強行したため再燃、4月20日から25日まで全線罷業をしたが敗北。32年7月、34年9月に人員整理・減給が発表されたときも労使が対立、大争議となった。37年1月12日には市電身売り案が提案され紛擾(ふんじょう)を醸したが、戦争が進展している時期であり、組合は同年10月に時局に協力、「産業協力」を唱え、「闘争主義」を放棄した。[成田龍一]
『東交史編纂委員会編『東京交通労働組合史』(1958・東京交通労働組合)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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