デジタル大辞泉
「村田銃」の意味・読み・例文・類語
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むらた‐じゅう【村田銃】
- 〘 名詞 〙 旧日本陸軍最初の制式銃。明治一三年(一八八〇)、陸軍軍人村田経芳がフランスの一八七四年式グラー銃とオランダの一八七一年式ボーモン銃の方式をとり入れて完成した軍用小銃。
- [初出の実例]「日本男児の村田銃 剣のキッ先味はへと」(出典:演歌・欣舞節(1887‐92頃)〈若宮万次郎〉)
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村田銃 (むらたじゅう)
旧日本軍で初めて正式に採用された国産の小銃。明治維新前後には,さまざまな輸入小銃が使用されていたが,1880年(明治13)に村田経芳が発明した十三年式村田銃が採用された。さらに85年(明治18)には若干の改正を加えた十八年式村田銃が採用され,日清戦争に威力を発揮した。十三年式,十八年式村田銃は元込単発銃であり,口径は11mm,砲金の薬莢(やつきよう)を用い,射撃後槓桿(こうかん)を引いて尾筒を開けば空薬莢ははじき出された。89年(明治22)には連発銃の二十二年式村田銃(村田連発銃)が発明された。これは口径8mm,前床弾倉式で8発を装塡することができたが,弾倉を装塡するのに時間がかかり,弾倉内の弾を射ち尽くすと,単発銃と同じになるため,わずかの期間採用されたのみで廃止された。
→三八式歩兵銃 →小銃
執筆者:升本 清
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村田銃
むらたじゅう
陸軍少将村田経芳(つねよし)によって設計された小銃で、日本陸軍で初めて制式となった国産小銃。1880年(明治13)、フランスのグラー銃、オランダのボーモン銃を参考に十三年式村田銃を開発した。ボルト・アクション単発式で口径11ミリ、全長1294ミリ、重量4キロ、照尺1500メートルであった。85年に一部が改良されて十八年式村田銃となり、これらが日清(にっしん)戦争で使用された。十八年式制定まもなく無煙火薬の連発銃の時代となり、村田経芳も89年に二十二年式村田連発銃(口径8ミリ、全長1220ミリ、重量4キロ、照尺2000メートル)を完成、制定された。
[小橋良夫]
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村田銃【むらたじゅう】
村田経芳が,西南戦争の経験を生かし,ドイツのモーゼルM71歩兵銃などを範として1880年完成した最初の国産制式銃。単発式で,口径11mm,銃身長0.84m,全長1.294m,重さ4.15kg,射程1500m。のち改良された連発式のものが日清戦争で活躍。
→関連項目三八式歩兵銃
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村田銃
むらたじゅう
陸軍少将村田経芳が考案発明した単発小銃と連発銃。フランスのグラー銃やオランダのボーモン銃を手本にして 1880年単発の後装式施条銃を完成し,十三年式村田歩兵銃として制定された。口径 11mm,全長 1090mm,重量 4kg,最大射程 2000m。村田銃はさらに日本人の体格に適するように改良を加えられ,十八年式村田銃として完成,続いて 1889年には無煙火薬を使用する村田連発銃として完成した。これは口径 8mm,全長 1220mm,重量 4kg,最大射程 2200mであった。十三年式と十八年式は日清戦争に使用されたが,連発銃のほうは間に合わなかった。
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村田銃
むらたじゅう
明治中期に陸軍の村田経芳(つねよし)が設計した小銃。各種の輸入銃にかえて陸軍の制式銃にするため開発。最初に試製された13年式,改良のすえ全軍に装備された18年式,1889年(明治22)に採用された無煙火薬を用いる連発銃の3種がある。おもに東京砲兵工廠で生産され,13年式・18年式は口径11mmで射程1700m(騎兵銃は1200m),連発銃は弾倉内に8発を納め,口径8mmで射程2000m。日清戦争時の主力小銃。
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村田銃
むらたじゅう
明治前期,村田経芳 (つねよし) が開発した歩兵銃
明治初期,陸軍では多種多様の外国小銃が使用されていたので,村田は国産化による改良統一を企て,フランスやオランダの銃を模範として1880(明治13)年完成,13年式村田銃として陸軍が採用。改良された18年式・22年式(連発式)は日清戦争の際威力を発揮した。
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