東山魁夷(読み)ヒガシヤマカイイ

デジタル大辞泉 「東山魁夷」の意味・読み・例文・類語

ひがしやま‐かいい〔‐クワイイ〕【東山魁夷】

[1908~1999]日本画家。神奈川の生まれ。本名新吉詩情あふれる装飾的風景画制作文化勲章受章

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精選版 日本国語大辞典 「東山魁夷」の意味・読み・例文・類語

ひがしやま‐かいい【東山魁夷】

  1. 日本画家。横浜市出身。本名新吉。東京美術学校卒業後ドイツに留学。帰国後官展を中心に活躍。風景画に特色がある。日本芸術院会員。文化勲章受章。代表作朝明けの潮」。明治四一~平成一一年(一九〇八‐一九九九

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20世紀日本人名事典 「東山魁夷」の解説

東山 魁夷
ヒガシヤマ カイイ

昭和・平成期の日本画家



生年
明治41(1908)年7月8日

没年
平成11(1999)年5月6日

出生地
神奈川県横浜市

出身地
兵庫県神戸市

本名
東山 新吉(ヒガシヤマ シンキチ)

学歴〔年〕
東京美術学校日本画科〔昭和6年〕卒,東京美術学校研究科〔昭和8年〕修了,ベルリン大学哲学科美術史部〔昭和10年〕中退

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞〔昭和31年〕「光昏」,毎日芸術大賞〔昭和44年〕,文化勲章〔昭和44年〕,西ドイツ功労大十字勲章〔昭和51年〕,オーストリア芸術家協会名誉会員〔平成1年〕,信毎賞(第1回)〔平成6年〕,山口村名誉村民〔平成7年〕

経歴
昭和4年美校在学中第10回帝展に「山国の秋」を初出品し、初入選。美校研究科で結城素明師事。雅号を魁夷とする。8年ドイツに留学。10年帰国。12年初個展「滞欧スケッチ展」を開催。20年陸軍に召集、配属先の熊本の部隊で阿蘇の雄大な景観に触れて画心を確立。25年第6回日展出品の「道」で風景画家としての地歩を築いた。31年第11回日展出品の「光昏」により芸術院賞受賞。以後33年「秋翳」(第1回新日展)など日本各地の風景を題材とする。35年東宮御所(現・赤坂御所)大広間壁画「日月四季図」を完成、36年吹上御所御用命画「万緑新」、43年皇居新宮殿壁画「朝明けの潮」を完成。44年文化勲章受章、49年日展理事長。この間、39年「冬華」、40年「白夜光」、45年「雪の城」、46年「晩鐘」など北欧・ドイツの風光や、51年「桂林月夜」など中国の風景も描く。自然や風土を深く洞察し、人間の郷愁を深くたたえた静謐画風は現代の風景画に新局面を開拓した。46年から唐招提寺御影堂全障壁画の制作にかかり、50年「山雲・濤声」28面が完成。55年水墨による「唐招提寺襖絵」が、56年鑑真和上像厨子絵」「瑞光」が完成。59年より日展顧問。62年家蔵の自作品600余点を一括して長野県に寄贈、平成2年長野市の信濃美術館内に東山魁夷館が開館。同年大嘗祭に際し、皇居・豊明殿に飾る「悠紀地方屏風絵」を完成。7年阪神大震災に対する義援金とするため、作品「静唱」をリトグラフ化し、その販売収益を寄与した。文章もよくし、昭和31年の「わが遍歴山河」以降、「白夜の旅」「風景との対話」「唐招提寺への道」、また「東山魁夷画文集」(全10巻・別巻1)など多数の著書、画文集がある。画集「東山魁夷」(全5巻)ほか作品集も多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東山魁夷」の意味・わかりやすい解説

東山魁夷
ひがしやまかいい
(1908―1999)

日本画家。明治41年7月8日横浜に生まれる。本名新吉。1931年(昭和6)東京美術学校(東京芸大の前身)を卒業して研究科に進み、33年から35年までドイツに留学。47年(昭和22)の第3回日展で『残照』が特選。50年から審査員となり、第11回日展出品作『光昏(こうこん)』で56年に日本芸術院賞を受ける。65年には日本芸術院会員、日展理事となり、69年に文化勲章を受章。74年に日展理事長となった。この間、60年に東宮御所壁画『日月四季図』、68年には皇居新宮殿壁画『朝明けの潮(うしお)』を完成させ、翌年毎日芸術大賞を受ける。また73年から唐招提寺御影(とうしょうだいじみえい)堂障壁画の制作に携わり、81年にこれを完成させた。87年に所蔵していた自作を長野県に寄贈。90年(平成2)には、同県にそれらを所蔵した長野県信濃美術館・東山魁夷館が開館した。文章をよくし、『わが遍歴の山河』『風景との対話』など著書多数がある。平成11年5月6日死去。

[二階堂充]

『吉村貞司他解説『東山魁夷画文集』全10巻(1978~80・講談社)』『河北倫明解説『現代日本画全集12 東山魁夷』(1980・集英社)』『東山魁夷著『わが遍歴の山河』(1982・新潮社)』『東山魁夷著『風景との対話』(1988・新潮選書)』『桑原住雄・岩崎吉一他編『東山魁夷』全5巻(1989~90・講談社)』『『東山魁夷自選画文集』全5巻(1996・集英社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「東山魁夷」の意味・わかりやすい解説

東山魁夷 (ひがしやまかいい)
生没年:1908-99(明治41-平成11)

日本画家。本名新吉。横浜に生まれる。1926年東京美術学校日本画科に入学,在学中に第11~13回帝展で連続入選を果たした。31年同校を卒業後,結城素明に師事したが,33年西欧美術研究のため渡欧,翌年ベルリン大学に入学した。35年に帰国し,以後文展に出品する。40年川崎小虎の女婿となり,43年には小虎を中心に,山本丘人,橋本明治らと国土会を結成した。45年召集をうけ,配属された熊本で阿蘇の雄大な景観に触れて画心を確立したという。戦後の47年千葉県鹿野山上からの眺望を描いた《残照》により第3回日展で特選をうけ,その後《道》《たにま》《秋風行画巻》を経て《光昏》(1955)を発表,芸術院賞を受賞し風景画家としての地位を固めた。66年東宮御所大食堂壁画《日月四季図》を制作,さらに日本各地の海岸を写生して,68年皇居新宮殿大壁画を完成した。翌年文化勲章を受章するが,73年からは唐招提寺障壁画の制作準備に入り,中国各地を取材,最終的に厨子扉絵まで完成したのは81年であった。その間,たびたび西欧諸国を旅し,各地の風景画とともに数々のエッセーを残した。
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百科事典マイペディア 「東山魁夷」の意味・わかりやすい解説

東山魁夷【ひがしやまかいい】

日本画家。本名新吉。横浜生れ。1931年東京美術学校卒後,結城素明に師事。1933年渡独,ベルリン大学美術史科に学び,1935年帰国後,新文展に出品した。戦後は日展に出品し,1947年《残照》で特選。1968年には皇居新宮殿の壁画《朝明けの潮》制作。1969年文化勲章。
→関連項目上野の森美術館

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東山魁夷」の意味・わかりやすい解説

東山魁夷
ひがしやまかいい

[生]1908.7.8. 横浜
[没]1999.5.6. 東京
日本画家。本名新吉。 1931年東京美術学校卒業。結城素明に師事。 33~35年ドイツに留学,ベルリン大学を修了。 47年『残照』 (東京国立近代美術館) が日展で特選。穏やかな情趣,純潔な詩情の感じられる作品は高く評価され,56年日本芸術院賞受賞,65年芸術院会員。 68年新宮殿壁画『朝明けの潮』を制作。 69年毎日芸術大賞受賞,同年文化勲章受章。その他の主要作品『道』 (1950,東京国立近代美術館) ,『光昏』 (55,日本美術院) ,『秋翳』 (58,東京国立近代美術館) ,『白夜光』 (65,同) ,唐招提寺障壁画 (75,80) 。主著『わが遍歴の山河』『風景との対話』『私の窓』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東山魁夷」の解説

東山魁夷 ひがしやま-かいい

1908-1999 昭和-平成時代の日本画家。
明治41年7月8日生まれ。結城素明(ゆうき-そめい)に師事。昭和8年ドイツ留学。21年より日展を中心に出品。43年皇居新宮殿壁画,50年と55年唐招提寺御影(みえい)堂障壁画を制作。静謐(せいひつ)な風景画により独自の画風をきずいた。31年芸術院賞,40年芸術院会員,44年文化勲章。平成11年5月6日死去。90歳。神奈川県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は新吉。作品に「道」「光昏」「桂林月夜」など。著作に「東山魁夷画文集」など。

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367日誕生日大事典 「東山魁夷」の解説

東山 魁夷 (ひがしやま かいい)

生年月日:1908年7月8日
昭和時代;平成時代の日本画家。日展理事長
1999年没

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