東牧村(読み)ひがしまきむら

日本歴史地名大系 「東牧村」の解説

東牧村
ひがしまきむら

[現在地名]田主丸町牧

巨瀬こせ川右岸に位置する。屋敷地は日田街道に沿い西牧村・小物成こものなり村と接する(上三郡絵図)。暦応三年(一三四〇)一〇月一六日の福田理慶軍忠状写(福田文書/南北朝遺文(九州編)七)に「竹野庄牧村」とあるほか、同年一〇月日の藤原通幸着到状(武雄神社文書/南北朝遺文(九州編)二)にも牧村がみえ、南北両朝の軍事上の拠点であった。貞和五年(一三四九)六月日の荒木家有軍忠状(近藤文書/南北朝遺文(九州編)三)によれば肥後筑後の南朝勢攻撃に加わった荒木家有は、肥前倉上くらのうえ(現佐賀県鳥栖市)から筑後の白気隈、善導寺ぜんどうじ(現久留米市)・牧村を経由して石垣いしかきへ進んでいる。

天正一六年(一五八八)二月一二日の原田氏家臣連署坪付(児玉採集文書)に「牧村東四〇町」とある。


東牧村
ひがしまきむら

[現在地名]引佐町井伊谷いいのや

南流する井伊谷川中流西岸に位置し、南は井伊谷村、北は花平はなだいら村。東真木とも記される。中世井伊いい郷に属し、井伊氏の私牧とも伝える。年月日未詳の伊達忠宗軍忠状(駿河伊達文書)に永正七年(一五一〇)一二月二八日夜のこととして「まきの寺御陣所火事にて花平へ御移候」とある。当時、斯波氏と今川氏が争い、「まきの寺」は井伊氏が属した斯波義達の陣所という。東牧村に対する西牧の地名は隣接する花平村に属し、元禄一三年(一七〇〇)の花平村畑方検地(引佐町役場所蔵文書)にも花平村の字名としてみえる。慶長一六年(一六一一)には徳川頼宣の家臣三浦為春が「東真木村」二一石余を知行していた(「遠州知行割帳」和歌山大学紀州経済史文化史研究所蔵)


東牧村
とうぼくむら

[現在地名]黒川村東牧

胎内たいない川右岸の河岸段丘先端にあり、東は黒川町、西は江端えばた村、北は近江新おうみしん村、平木田ひらきだ(現中条町)に接する。村名は曹洞宗東牧寺に由来する。正保国絵図には「東牧寺村 百七十石余」、貞享元年(一六八四)の村上藩領分郷村高辻帳には「東牧村」とある。宝永六年(一七〇九)幕府領、正徳二年(一七一二)以降旗本松平領。明和(一七六四―七二)初年高野たかの(現中条町)から当村に松平氏の仮陣屋が移設されたが、名称は高野陣屋のままであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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