杵屋 弥三郎(7代目)
キネヤ ヤサブロウ
- 職業
- 長唄三味線方
- 肩書
- 弥三郎派7代目家元
- 本名
- 若和田 邦夫
- 生年月日
- 大正13年 2月4日
- 出生地
- 東京
- 学歴
- 東京音楽学校〔昭和19年〕卒
- 経歴
- 山田抄太郎に師事、昭和18年7代目弥三郎を襲名、東音会顧問。
- 所属団体
- 長唄東音会(顧問)
- 没年月日
- 平成4年 11月2日 (1992年)
杵屋 弥三郎(5代目)
キネヤ ヤサブロウ
- 職業
- 長唄三味線方
- 別名
- 初名=杵屋 八十七
- 生年月日
- 安政4年
- 経歴
- 4代目の二男。父の死後5代目を襲名した。
- 没年月日
- 明治45年 4月10日 (1912年)
- 家族
- 父=杵屋 弥三郎(4代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
杵屋 弥三郎(7代目)
キネヤ ヤサブロウ
昭和期の長唄三味線方 弥三郎派7代目家元。
- 生年
- 大正13(1924)年2月4日
- 没年
- 平成4(1992)年11月2日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 若和田 邦夫
- 学歴〔年〕
- 東京音楽学校〔昭和19年〕卒
- 経歴
- 山田抄太郎に師事、昭和18年7代目弥三郎を襲名、東音会顧問。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
杵屋弥三郎(初代) きねや-やさぶろう
?-1758 江戸時代中期の長唄三味線方。
杵屋宗家4代六左衛門あるいは宗家7代杵屋喜三郎の門弟。宝暦3年江戸中村座で初演の「娘道成寺(むすめどうじょうじ)」の立三味線をつとめる。作曲にすぐれ,大薩摩(おおざつま)節もよくしたという。弥三郎の名は弥三郎派の家元名として8代をかぞえる。宝暦8年死去。作品に「執着獅子(しゅうじゃくじし)」。
杵屋弥三郎(2代) きねや-やさぶろう
?-? 江戸時代中期の長唄三味線方。
初代杵屋弥三郎の子とも,門弟ともいわれる。初代の没後2代を襲名。明和7年(1770)ごろ江戸市村座の立三味線となり,唄方の初代富士田吉次(きちじ)らの相方をつとめ,まもなく死去したという。作品に「菊三番」「千代見草栄丹前(ちよみぐささかえたんぜん)」など。
杵屋弥三郎(4代) きねや-やさぶろう
1817-1903 江戸後期-明治時代の長唄三味線方。
文化14年生まれ。4代富士田音蔵の弟。初代杵屋三五郎の取立門弟から,杵屋宗家10代六左衛門の直門となり,三平から2代辰三郎に改名。安政3年に4代を襲名し,5年立三味線にすすんだ。明治36年9月27日死去。87歳。
杵屋弥三郎(3代) きねや-やさぶろう
?-? 江戸時代後期の長唄三味線方。
2代杵屋弥三郎の養子といわれる。文化11年(1814)江戸森田座で3代を襲名。めりやすの上調子(うわぢょうし)や,大薩摩(おおざつま)節を得意としたという。天保(てんぽう)元年(1830)ごろ死去。前名は杵屋錦次郎。
杵屋弥三郎(5代) きねや-やさぶろう
1857-1912 明治時代の長唄三味線方。
安政4年生まれ。4代杵屋弥三郎の次男。前名は杵屋八十七。父の没後に5代目をつぐ。明治45年4月10日死去。56歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の杵屋弥三郎の言及
【執着獅子】より
…1754年(宝暦4)3月江戸中村座で,初世中村富十郎により初演。作曲初世杵屋弥三郎。振付市川国五郎。…
※「杵屋弥三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」