松平忠次(読み)まつだいら ただつぐ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平忠次」の解説

松平忠次(2) まつだいら-ただつぐ

1605-1665 江戸時代前期の大名
慶長10年生まれ。松平忠政(ただまさ)の長男。榊原康政(さかきばら-やすまさ)の孫。慶長12年3歳で遠江(とおとうみ)横須賀藩主松平(大須賀)家2代となる。元和(げんな)元年叔父榊原康勝(やすかつ)の上野(こうずけ)館林(たてばやし)藩をつぎ,陸奥(むつ)白河藩をへて,慶安2年播磨(はりま)姫路藩主榊原(松平)家第1次初代。15万石。将軍後見役をつとめた。和漢の学に通じ,茶の湯をよくした。寛文5年3月29日死去。61歳。通称は五郎左衛門。号は百做。編著に「武家百人一首」など。

松平忠次(1) まつだいら-ただつぐ

1521-1547 戦国時代武将
大永(たいえい)元年生まれ。松平信長(のぶなが)の子。五井松平氏。松平広忠にしたがう。三河(愛知県)渡利城の鳥居次郎とたたかい,天文(てんぶん)16年9月28日討ち死に。27歳。通称は弥九郎,外記

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松平忠次の言及

【白河藩】より

…1627年(寛永4)丹羽長重が10万石で入部,白河城の大改修と城下町の整備をおこない,近世城下町として面目を一新した。43年松平(榊原)忠次が14万石で就封し,以後幕末まで奥州道中の重要拠点として,49年(慶安2)本多,81年(天和1)松平(奥平),92年(元禄5)松平(結城),1741年(寛保1)松平(久松),1823年(文政6)阿部氏と領主が交替,石高は10万石から15万石で譜代名門大名が配置された。1651年本多忠義の総検地によって藩体制が確立,1716年(享保1)から36年(元文1)には農民一揆,家中騒動が発生した。…

※「松平忠次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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