松本 幸四郎(7代目)(読み)マツモト コウシロウ

20世紀日本人名事典の解説

松本 幸四郎(7代目)
マツモト コウシロウ

明治〜昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治3年5月12日(1870年)

没年
昭和24(1949)年1月27日

出生地
東京府浅草花川戸(現・東京都台東区)

本名
藤間 金太郎

別名
幼名=豊吉,前名=市川 金太郎,市川 染五郎(4代目),市川 高麗蔵(8代目)(イチカワ コマゾウ),舞踊名=藤間 勘右衛門(3代目)(フジマ カンエモン)

屋号
高麗屋

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和23年〕

経歴
5歳のとき2代目藤間勘右衛門の養子となって藤間金太郎と称し、舞踊を修業。明治13年9代目市川団十郎に入門、市川金太郎の名で翌年春木座で初舞台。その後、4代目市川染五郎、8代目市川高麗蔵を経て、44年7代目松本幸四郎を襲名。同年より6代目尾上梅幸らと帝劇の専属となり、昭和4年松竹に復帰するまで帝劇で活躍した。大柄で風貌、音調ともにすぐれ、9代目団十郎の芸脈を継承、荒事、時代物、舞踊を得意とし、また38年に日本初の創作オペラ「露営の夢」を上演、その後翻訳劇の上演を試みるなど進歩的なところもあった。大正・昭和の劇界の重鎮として戦後の昭和23年末まで舞台を務めたが、当たり役は由良之助はじめ伴随院長兵衛、助六、松王丸などで、特に「勧進帳」は弁慶役者として1600回も上演している。また養父の名跡を継ぎ、3代目藤間勘右衛門として藤間流を継承した。著書に「琴松芸談」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

松本 幸四郎(7代目)
マツモト コウシロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
藤間 金太郎

別名
幼名=豊吉,前名=市川 金太郎,市川 染五郎(4代目),市川 高麗蔵(8代目)(イチカワ コマゾウ),舞踊名=藤間 勘右衛門(3代目)(フジマ カンエモン)

屋号
高麗屋

生年月日
明治3年 5月12日

出生地
東京府浅草花川戸(東京都 台東区)

経歴
5歳のとき2代目藤間勘右衛門の養子となって藤間金太郎と称し、舞踊を修業。明治13年9代目市川団十郎に入門、市川金太郎の名で翌年春木座で初舞台。その後、4代目市川染五郎、8代目市川高麗蔵を経て、44年7代目松本幸四郎を襲名。同年より6代目尾上梅幸らと帝劇の専属となり、昭和4年松竹に復帰するまで帝劇で活躍した。大柄で風貌、音調ともにすぐれ、9代目団十郎の芸脈を継承、荒事、時代物、舞踊を得意とし、また38年に日本初の創作オペラ「露営の夢」を上演、その後翻訳劇の上演を試みるなど進歩的なところもあった。大正・昭和の劇界の重鎮として戦後の昭和23年末まで舞台を務めたが、当たり役は由良之助はじめ伴随院長兵衛、助六、松王丸などで、特に「勧進帳」は弁慶役者として1600回も上演している。また養父の名跡を継ぎ、3代目藤間勘右衛門として藤間流を継承した。著書に「琴松芸談」がある。

受賞
芸術祭賞〔昭和23年〕

没年月日
昭和24年 1月27日 (1949年)

家族
養父=藤間 勘右衛門(2代目),長男=市川団十郎(11代目),二男=松本 白鸚(=8代目松本幸四郎),三男=尾上松緑(2代目)

伝記
松緑芸話 尾上 松緑 著(発行元 講談社 ’89発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

367日誕生日大事典の解説

松本 幸四郎(7代目) (まつもと こうしろう)

生年月日:1870年5月12日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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